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日本の終戦記念日に思う…

今日、8月15日は「 終戦記念日 」。 正確には「日本が天皇陛下の玉音放送を通じて、敗戦を知った日」とでも言おうか。 兎にも角にも、日本の歴史の大きな転機となった一日である。 世界的に第二次世界大戦が終結したのは翌月、9月2日、アメリカ合衆国戦艦ミズーリの艦上で日本が降伏文書に調印した時だ。 日本人の気持ち的に「やっと終わった」と思ったのが8/15なので、日本的にはそのように決まったのであろう。 こんなところも日本人の精神主義的なところが感じられる。 良くも悪くも日本人は「気持ち」だから…。 俺自身は、戦争の体験など勿論ない。 ただ、俺が子どもの頃、正月に成田山へ初詣に行くと、参道の途中に白い服を着た手足や目の無い男の人たちが、楽器などをもって、寄付を募っていたことを非常に鮮明に覚えている。 彼らは太平洋戦争で体が不自由になった元兵士。 俺の亡くなった父親も戦争には行っていなかったせいか、彼らについてはあまり詳しい説明をしなかったように思う。 それでも俺は子どもながらに、戦争の悲惨さを感じ取ったつもりだ。 孫子の「兵法」ではないが、戦争というものは常に違う原因にて起こる。 よって、ただ反戦を唱えるだけではなく、その時代時代によって変化していく戦争の原因となりえる事象を見つけ出し、解消していく努力が必要なのだ。 兵器を所有しているから戦争が起こるわけではないのである。 現に永世中立国のスイスなどは戦争を起こしたりはしていない。 完全に自衛のための軍隊を所有しているのである。 現代はテロという無差別攻撃をされる時代である。 兵器をもっていようがいまいが、いうことをきかなければ攻撃される。 しかも、北朝鮮や中国のように、自国の利益を優先するために、国際法を無視して実力を行使している国もまだまだ存在している。 そこのあたりが、最小限の武力が必要な所以である。 日本の終戦記念日の今日、 俺個人としては、精神主義的且つ自虐的な思想を捨て、駄々を捏ねている一部の発展途上国家が焚き付けようとしている火種を国際法に基づいて適切に処理し、戦争の発端となるような非常識な行動をやめさせるべきだ。 そして、そのことを通じて一日も早く日本が日本人の手で自衛出来るような行動を断固としてとれるようになって欲しいと思っている。