今から8年前、私は訳あって盛岡市に居住。 そこであの「 3.11 」に遭いました。 沿岸部では津波による甚大な被害が発生していたまさにそのとき… 盛岡でもライフラインが途絶え、2~3日してやっとで電力が回復。 すると… 震災から3日後、沿岸部では悲惨な状況が続いているのに、盛岡市内の パチンコ屋 には、オープン前から 長蛇の列 …とても信じられない光景を見た記憶があります。 かたや他地域の人々がボランティアや寄付などを行っているのに対し、同じ被災地である岩手県内の被害が少なかった地域ではパチンコに興じる大勢の人々…この事実は、人間の何を表しているのだろうか…今もって、理解出来ない私がいます。 いまだ復興の途上にある沿岸部を中心とする被災地で、元の生活を取り戻すことは出来ないのです。 人の命は、戻ってこないのですから。震災後、8年が経った今、改めて、ただただ被害に遭って亡くなった人々のご冥福をお祈りするばかりです。
昭和・平成・令和…と、時代が移り行くに連れて変化する悲喜交交の人間模様と心模様のエッセイ。