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心が通じ合うかどうかは相手による。

親子でも夫婦でも友だちでも、心が通じ合うかどうかは相手による。 たとえ我が子でも、思いが通じる子と通じない子がいる。夫婦なら尚更だ。元々は他人なので。   反対に、家族でなくても心が通じ合う相手がいる事も事実。   要は「相手による」ということに尽きる。   通じればラッキーだが、通じなければ残念ながら諦めるだけ。   せめて心が通じ合う相手だけは大切にしたい。   それにしても…人の心は、いと面白し…。  

83年の歴史に幕を下ろす…築地市場の思い出

2018年10月6日、 築地市場 は83年の歴史に幕を下ろします。 2㎞少々離れた豊洲に移転ということで。それでも場外市場は今まで通りなので、私としては安心しています。 築地といえば、うちの長女と二人で早朝に訪れて、”鮨”の朝食を一緒に食べたことを懐かしく思います。 築地市場そのものは、外から眺めてただけなんですが(笑) ただ、市場の前だからこそ、場外市場も活気が伝わってくるわけで、豊洲への移転は何とも複雑な心境です。 市場があるうちに、もう一度、長女と二人で朝飯食べに行きたかったなぁ…

樹木希林さんも、西城秀樹さんも逝った…寺内貫太郎一家

2018年9月15日、女優の 樹木希林 さんが亡くなりました。 遂この間、 西城秀樹 さんが亡くなったばかりです。これで「 寺内貫太郎一家 」の出演メンバーがまた一人いなくなりました。 樹木希林さんは、以前「悠木千帆」という芸名でしたが、ある時期にオークションに出品して2万円程度で売ったとのこと。 「ジュリ~!」っと言って沢田研二さんのポスターの前で悶えていた樹木希林さんが懐かしく思い出されます。 「寺内貫太郎一家!」というセリフの後に「ツー」って言ってたのも覚えています。 人生も半ばを過ぎると、私自身との直接の関係の有無とは無関係に、名前だけとかでも知っている人々が、次々に亡くなっていくのが寂しく感じるものです。 テレビや映画で見たことのある有名人、自分の親族、友だち、知人、職場の仲間などなど…次々と亡くなっていくのは世の摂理。甘んじて受け入れるしかないのでしょう。 私自身、自分の生を全うして、いつの日か、そんな懐かしい人々の待つ「あの世」へ行くのでしょう。 だけど、それまでは…生きている今は、精一杯、毎日を生き抜くだけです。        

ディズニーリゾートが35周年…娘と訪れたい

もう5年も経ったのか…娘と二人でディズニーランドの30周年、ディズニー・ハロウィンの時期に遊びに行ったことを思い出します。 時の流れは思ったより早く感じます。 さすがにコスプレはしませんでしたが、台風が来ているタイミングでした。 それでも、台風の目に入ったか何かで、外でのアトラクションを待っている時は、雨が弱まったりして、私の”ハレ男”振りを実感したものです(笑) 2018年の今年は35周年。 またまたハロウィンの季節がやって来ます。 娘と一緒に行くために、ただいま節約生活を実施中! 昼めしは自作のおにぎり。 娘の笑顔が見たいんでね♪

2018年の24時間テレビのドラマで観た石ノ森章太郎

石ノ森章太郎 と言えば、私が子どもの頃から好きだったテレビ番組の原作者。 モノクロの時代のサイボーグ009や仮面ライダー、人造人間キカイダーなど、少年の頃(今でも)のヒーローたちの生みの親。 それぞれに影(負の部分)をもったヒーローたち…とても人間らしくて、ある意味で身近に感じることが出来ました。 そんな大先生が、1998年に60歳という若さで亡くなって、私自身、大きなショックを受けたことを覚えています。 そんな24時間テレビのドラマを観て初めて私が知ったのは、石ノ森章太郎のお姉さんが、彼に多大な影響を与えていたということです。 小さい頃、サイボーグ009のアニメを観ていて私が感じた「愛」が、実は先生のお姉さんから受け継がれたものなのだということを、はじめて知ったのです。 そのことを知って、私は益々、石ノ森章太郎が好きになりました。 先生が大好きだったお姉さんの愛を読者や視聴者に伝える…そんな先生が好きなんです。

墓じまい

先日、 墓じまい をしました。 先祖…といっても、明治時代からの墓なので、代々とまではいかないですが。 お寺さんの永代供養の墓に移し、墓石を撤去。  父親には申し訳ないとも思いましたが、地方に移された墓なので、毎度、東京から墓参りに通い続けるのも難しいと考えた末の結論でした。 もともとは都内にあった墓を、両親は何故か東北の某地に移してしまったのがそもそもの間違いだったのではないかと思います。 20世紀末、私の両親が母親の実家がある東北の地に引っ越したのをきっかけに都内にあった墓を移したのですが、恐らく、子どもの私たちが参ることは考えず、両親が毎年墓参りをするのに不便だったから、そうしたんじゃないかと考えます。父が亡くなっているので、真相は不明ですが…。 正直な話、東北に住む気が全くない私たち兄弟にとっては迷惑な決断だったと思います。わざわざ墓を作って壊すだけのために数百万円を費やしたことになります。まぁ、それが父親の意志ならば、それはそれで満足なお金の使い方だったのでしょう。 墓じまいによって、ある意味、我が家の歴史が途絶えた気がしないでもない…そこはかとなく寂しい気がします。 たられば…の話ですが、墓が都内にあったままなら、墓じまいはしないで済んだのだと思います。何故なら、私がそのまま引き継げるからです。 亡くなった父親の意志は不明です。何で、わざわざ移すことを考えたんだろう…。流れを墓じまいに持って行くため?その割にはカネと労力を使い過ぎた感があります。 お盆の入りに、父親が葬られた永代供養の墓参りをして、ふと考えてしまいました。

身近な人の死で思うこと

私が生まれてから、身近で人の死を幾度となく見て来ました。 最初は祖母。それから、親戚や実の父親など。 親類関係以外でも、職場の仲間。(レスキューの仕事) 中でも、同期のAの死は衝撃的でした。 Aは典型的な関西弁の男で、私をライバル視していたらしく、何かと私と競おうとしてくるので、よくぶつかったりしたこともあり、いわゆる対立関係にあったと思います。 私自身、マイペースなので、そういったAのことをウザいなぁ…などと思ってましたし。 それでも、ある実ミッションでAが山に激突して亡くなったと聞いた時、ショックとともに空しさというか閉塞感というか、そんな複雑な気持ちになったのを覚えています。 たとえ対立している相手でも死んでしまうとこんなものか…と感じたものです。 嫌いな奴だったのに、その時も、そして未だに思い出すと涙が出てきます。 たとえ対立している相手でも死んでしまうと虚しい… どういった関係であれ、かかわりのある人間の死は、心に大きな傷跡を残すものなのだと思います。 後輩も、先輩も、そしてAとは別の同期も…何人も殉職しています。 レスキューは人を助けるための仕事。生きていれば更に多くの人々を救ってくれていただしょう。 そういった人知れず死んでゆくレスキューにいたことを誇りに思います。 そして、志半ばにして逝った彼らの分も生きて、生き抜いて、社会に僅かでも貢献出来るよう努力していくことが、先達への、せめてもの手向けだと思っています。 命を救うために逝った全ての仲間たちの冥福を祈ります。

覆水盆に返らず

It is no use crying over spilt milk. こぼれた後はもうだめなのか否か…現実的にはダメなんでしょう。 特に夫婦間においては = 離婚!  一緒に暮らす中で、どちらか片方、あるいは両方で、相手を思いやる気持ちが薄れた時は、器のバランスが崩れるわけですから、水でもミルクでもこぼれます。人間関係は液体と同じようです。 そうならないよう日々、絶え間のない(思いやりを忘れないこと=バランス取り)が肝要です。  故事のように後で後悔しないように…。

営業マンが売れない理由

私自身、過去に営業マンとしての仕事をしたことがありまし。が、売れませんでした。ことごとく。 日常の生活での印象は良いらしく、営業マンに適してる的に友だちや知人から言われていますが、過去の実績から私自身は「営業マンには向ていない」が結論です。 しかし… 今日、ある知人が私に教えてくれました。 素直に裏表なく人と接する私は、素直=飾らないっということで、他人から好かれている。 だが、営業の仕事の場合、お客様に対しては「素直」であってはダメ! 実際に素直か否かは問題ではなく、自分が相手より、相手のことを考えている感とか、自分が思いやりがあってよい人感というのを敢えて言葉と行動で伝えなければ営業マンとして成功は出来ない…と。 ただ相手を思ているだけで、それを表現しなければ、せっかくの「良い人」が台無し…だそうで。 どうやら、私が営業マンとして成功出来なかった原因は、自分の良い部分を表現しなかったというところにあったようです。 良い人ぶるというか、「あなたのことを考えてますよ」とアピールすることは、考えたこともありませんでした。なんか腑に落ちた。 商売とはそういうことか!だって気心知れない相手に物やサービスを売るんですものね。そうやって、自分を売らないと…ね! 言ってくれた人に感謝!

自分の子どもを殺す親

昔からあったんでしょうけれど最近目立つのは、自分の子どもを虐待したり殺したりする親のニュース。 結局は、親自身が子どもの…しかも幼児的な心のままで大人になった親のように感じます。 そう考えると、その親を育てたそのまた親にも責任はありそうです。 幼稚なまま社会に出て体はオトナ、心は幼児…なんていう人が増えているようです。 道路で「あおり運転」する人々も同類なのでは? 彼ら・彼女らは、社会問題となっている今でも、そういったことを自覚すらできない”子ども”です。 ただ、大人と子どもの違いは、「知らなかった」では済まされないのが大人だということ。 これからも、そういった幼稚な知性がもととなる犯罪は増えていくんでしょうかねぇ…。

大家族っていいなぁ…フジテレビ「うるしやま家」を観て

夫婦と5男6女で、更に今年六男が生まれて14人家族か…賑やかでいいな。 子だくさんだと、経済的にも面倒見るにも大変だろうけど、その家族は子どもたちといい関係を築けているようで、皆一緒に家族として明るく盛り上がってるから、きっと幸せなんだろうな…って。 私自身の生い立ちから2度の結婚失敗まで、私自身は家族が一体になったことなど一度もなかったので、そういった「大家族」のテレビ番組が好きで、放送があると必ずと言っていいくらい観ています。 本当の意味で「みんな一緒」っていう家族は、本当にいいですよね。悪いことがあっても、一緒だから乗り切れるし、幸せなことは倍増して感じられるんだろうなぁ…。 「うるしやま家」には、これからも明るく幸せに暮らして欲しいです。そして、そんな幸せな家族の風景を見せてもらえて、私自身も幸せな気持ちになれたことを感謝します。 家族っていいなぁ。私ももう一度家庭をもちたいな。今度こそは、みんな一緒で暮らせる家族を。 夫婦間、そして親と子が両方とも良い関係を築ければ、 きっと明るく幸せな家庭になるんだろうな…なんて、そんな家庭の経験がないから分からないけど。きっとそうだと思う。 小さいときからの私のあこがれは、明るい家庭。できれば大家族で。 人間100年…もう一度、自分の理想の家庭づくりを目指したい。今度はしっかりと考えて結婚することから始めて…ね!

明日は「母の日」

明日の「 母の日 」を前に、テレビ観てると「お母さんの思い出」とか「母親自慢」とかいったテーマでインタヴューなどが行われています。 何か、わたし的にはあまり考えたくないテーマだったりします。 まぁ、敢えて思い出せば、私が小学生の頃などは、「優しいお母さんが欲しいな…。」とか思っていて「あったかいお母さん」に憧れていたものです。 私が遊びに行く、学校の友だちの家のお母さんは皆、明るくて優しかったから、自分の現状を恨めしく思っていたのを覚えています。 私の母親は2018年の現在、まだ存命中ですが、出来ればもう二度と会いたくないです。 昔からよく言われた言葉は「生まなきゃよかった」とか「がっかりだよ」とか「恥ずかしい」が多かった…っというか、それしか思い浮かばないのがまた悲しい限りです。 気にくわないことがあると、すぐに樫の木の重く固い「棒」をもって、私を追いかけまわしました。 私がご近所で「いたずら」をすると、何故悪いのかを説明するのではなく、ただ「恥ずかしい」といって怒るだけでしたし…。 だから幼少の頃から、どこか親子だと認めたくない気持ちがあり、いつの日か、ある意味で「他人以下」の感情しか持てなくなっていました。 正直、現在でも尚、「母親」として認めたくないです。それでも現実はとても不愉快で、間違いなく「あの人」が私を生んだ母親なのでしょう。 最近ニュースで聞く、我が子を殺す母親よりはマシでしょうが…上を見ても下を見てもキリが無い。 とりあえず殺されなかっただけでも感謝…といったところです。 お陰様で、私自身の理想的な親としてのイメージは、おそらく「まとも」に醸成されました。 それが、自分自身の子育てに大きく反映されていると思います。 子どもはまず、「居てくれる」だけでも幸せです。たとえば学校の成績が良かろうが悪かろうが、 親の言うことを聞いてくれようがくれまいが、生まれてきてくれて良かった! 反抗期だってあるわけですから、そういうときは上手く距離を保ちながら…とにかく、家族なんだから、しっかり寄り添って一緒に生きていることが幸せなんだと実感しています。 私の子どもたち…私の子どもとして生まれて来てくれてありがとう! …それが、母の日を前に私が思うことです。

より良い毎日は、肯定的な言葉の積み重ねから

夫婦間での会話で使われる言葉が7割以上否定的になると離婚が決定的になるという統計結果があるそうな…それを証明するかのように、私自身は見事に離婚。 彼女の使う言葉は概ね「無理」「ダメ」「知らない」「死ね」「馬鹿じゃない」が殆どだったように覚えている。 一応、その点を本人に説いたつもりだったが、受け入れてはもらえず、私自身が結局、彼女と話さえしたくなくなってしまい、夫婦関係の終焉を迎えたという訳です。 まともに話し合いが出来ないから、意思の疎通や考えの擦り合わせが出来ない。だから上手くいくための方向性を見いだせない。当然と言えば当然の流れと結果でした。 そういった経験から、今は自分自身が以前にも増して肯定的な言葉を意識して使うようになってきました。 そのお陰ででか、離婚後の生活は周囲の人々とは前にも増して円満となりました。 元妻は、私の反面教師になってくれたからでしょう。

「産まなきゃよかった」はサイテーの言葉。

ドラマなどで、母親が「 産まなきゃよかった 」と自分の生んだ子どもに言っているのをテレビで何度か見たことがある。 現実で考えれば、人の親として、絶対に言ってはいけない台詞ですが、私の母親は普通に言います(爆)それも私たち兄弟が小さいときから。 別に、他人に迷惑をかけているわけでもないのに、何故かそう言われ続けてきました。 母親が、自分の思い通りにならないと、そのように言ってくるようです。 そういった訳で、今では誰も母親の元には行きません。私も、弟も。 家族がそんなですから、他人は尚更です。友だちもいないようで、1~2年に1回程度の様子見で、母親の妹が顔を出すくらいで。 誰も母親には寄り付きません。 自ら発する言葉が人を遠ざけているということに気づけない「哀れさ」を感じます。 ご近所さんとは挨拶程度の付き合いだけのようで、そんなときは愛想良く振舞っています。が、それ以上の付き合いはなく、人との付き合いがかえってストレスになるようです。 話は戻って「産まなきゃよかった」という言葉が、何で禁句なのかということを、私が大人になってから説明したこともありましたが、「だって本当にそう思っているから仕方がない」ということを言われて、今では諦めてしまっています。 世間一般を見渡せば、自分の子どもを殺してしまう母親もいる世の中ですから、そんなのと比べれば、私の方はまだマシなのかも知れませんが…。 メシはただ食わせればいい的に、毎日同じものを食べさせられ、同じものなのに、毎日味の濃さが違っていて「やっつけ仕事」的に育てられてたんで(笑) まぁ、殺されなかっただけでも感謝しなきゃ…などと考えるしかないようで悲しい。 そんなだから、高校生になってアルバイトを始めると、自分で稼いだ金で外食が多くなり、家で食事をすることも少なくなっていき、大学生になった以降は家から通えるところを、わざわざアパートに住んで、自分でバイトをして生活していたくらいです。 せめて、母親を反面教師手して、自分は子どもを大切に育てようと考えて今まで生きてきたので、それで「よし」としようと考えています。 ああ、サイテーな母親で良かった!神様、ありがとうございます! 私によりよく生きるための試練を与えてくれて…。

GWが来ると、一年の3分の1が過ぎったてことか…

何かあっという間に ゴールデンウィーク になってしまいました。 今年も3分の1が過ぎたってことですね。 昨年と比べると、急に温かくなった感じがします。 自分の短期目標と現実を照らし合わせて、不足している分を考慮して、次の短期目標を修正。 それでも、今年はほぼ計画通りに毎日が過ごせているのが嬉しいです。 目標は、仕事のことが中心となっていますが、子どもたちとの団欒のこともしっかりと考えて実行しています。 少し残念なのは、子どもの部活が忙しくて、計画した登山が出来そうもないことです。仕方ないので、その分は夏休みのキャンプに掛けようと思っています。 そういえば、ちょっと前の花見も出来なかったぁ…部活じゃねぇ。本人が頑張ってるから、きっと充実はしていると思うので、まぁ満足…ってことにしておこう! 子どもたちが大きくなるにつれて、段々と一緒に過ごせる時間が少なくなっていくのは寂しくもありますね。

熟年離婚。最近の傾向は…

聞くところによると、最近の 熟年離婚 には以前とは違った傾向があるそうです。 一昔前は、「横暴な夫に対する妻の反乱」的な原因で、家事や子育てに一切かかわらなかった「内弁慶」の昭和の夫に対し、子どもが独り立ちしたのをきっかけに、妻から「三下り半」を突き付ける…という構図が多かったものです。 それが今では「真逆」(笑) 日本ではまだまだ男性主権的ではありますが、それでも昔よりは社会の中での自由度が増した女性の方が徐々に強くなって、けっこう大変なことになっている家庭もあるようです。 態度が「冷たい」とか、「ひどいことを言う・する」とか…昭和の男が想像するような「おしとやか」で「優しい」女性のイメージとは全く異なった女性がその対象なのですが…要は、この先老いてゆく中で、この人と一緒に居たら心の安らぎが得られないと判断して、離婚を自分から切り出す夫が増えて来ていると言われています。 そういった話を聞くと、私個人としては「早めに気付いて行動しておいて良かった」などと、不謹慎ながら思っています。 何故なら、私の離婚理由は正に先述の通りなのですから…。

初詣 2018年

今年 2018 年も元旦に娘と二人で 初詣 に行くことが出来た! 家族で過ごせる時間が少なくなったので、こういった年中行事は貴重な家族団欒のひとときだ。 いつものように古いお札を納め、本殿にお参りし、お守りを買う…そんな1コマ1コマが、筆者にとってはとても幸せ。 帰りには必ずで店でのお買い物。じゃがバターだったり、たこ焼きだったり…ことしはアメだけしか食べなかったな、うちの子は。朝のお雑煮が効いていたいたのかな(笑) 筆者が子どもの頃は、毎年の初詣は父親が成田山に連れて行ってくれた。 国道51号線を通って10数キロだったかな。いつも大渋滞だったっけ。 駐車場に止めるのも一苦労。新勝寺から遠ければ遠いほど、駐車場の空きが多かったので、少し離れたところに駐車して、いつも数百メートル歩くのが恒例だった。 帰りに仲見世で何かを買ってもらえることが楽しみだったのを覚えている。 娘もいつか、こんな初詣の日のことを思い出してくれるのかなぁ…。

春が来た!夏のポケモン映画のチケットを購入

春が来たと思ったら、すかさず夏日なんて…ヘビーな春だな(笑) 末っ子も中学生になって、一段と俺の孤独な時間が増えそうだ。 早く子離れしないと…な。 そういえば先日、毎年恒例のポケモン映画のチケットが発売になったので、 末娘と一緒に最寄りの映画館まで、親子ペアチケットを買いに行った。 毎年のように、今年もポケモンダウンロードの特典があって、チケットにシリアルナンバーが あり、購入するや否や、娘は即効!新たなポケモンをダウンロードしてDSで遊んでた。 でも、今年から中学生だから、そろそろポケモンも卒業…かな!? 映画鑑賞を楽しみにはしているようだが…現時点では。 これも家族団らんの1つだから、俺としてはずっとポケモン好きでいて欲しい気もする。 そうでないと、親子二人で遊ぶ機会が減ってしまうんで。 娘とあと何回、ポケモン映画を一緒に観られるのかな…寂しい限りだ。

子どもは、いてくれるだけで幸せ!

子どもは、たとえ一緒に遊んだりしていなかったとしても 一つ屋根の下、一緒に暮らしているだけで、幸せだ。 一緒にご飯食べたり、テレビ観たり…別々に思い思いのことをしていても、 ただ傍にいるだけで幸せを感じることが出来る。 そういえば、今年は七草がゆを作り損ねたなぁ… 子どもたちと一緒に住んでいたときは、子どもたちに食育とか、家庭の味とか、 日本の年中行事とかを教えるために、一生懸命ご飯とか作ったりしてたけど、 一緒に住まなくなると…自分一人だと、なんか張り合いないし、何かを考える意欲さえ 湧いてこなくなるもんだなぁ…。 末っ子が中学生になったら、もう、週一度の家族生活…俺にとっての 週一の家庭を持つ機会もなくなってしまう。 そろそろ、俺自身、故郷に帰るか…な。もう、ここには誰も居ないのだから…。 せめて、仲間のいる故郷に帰ろうか…。 結局、俺は、人生において一番欲っしていたもの…いわゆる普通の家庭を 持つことは出来なかったなぁ、これまでは。 今後は、子どもたちと、一緒に暮らすことも無いだろう…新しい家庭を作らない限り。 残りの人生、あと30年に期待(笑)