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5月, 2018の投稿を表示しています

イゼルローン・フォートレスに行ってみたい!

今年(2018年)に御徒町駅近くに出来た「 ダイニングカフェ・イゼルローン・フォートレス 」。 言わずと知れた「 銀河英雄伝説 」のオフィシャル・ダイニングカフェです。 今暫くは予約制だそうです。 メニューも凝っていて、「同盟艦隊へのトールハンマー攻め」 とか、「アルテミスの首飾り」といったネーミングで、料理によっては面白い演出も用意されてます。(行ってからのお楽しみ♪) 銀英伝ファンが押し寄せている状態でしょうが、私も隠れ銀英伝好きなので、ちかいうちに訪問したいと思います。おっさん一人じゃ入りずらいんだけど、中学生の娘に同行を頼んでもダメ…かな…。 そういえば、最近、日大のアメリカンフットボールの試合における反則問題が話題になっていますが、私が報道などで見た内田前監督の言動や行動は、まるで銀英伝の「カストロプ動乱」におけるマクシミリアンという貴族の行動と重なるような気がして、アニメだけじゃなく、現実もまた恐ろしいんだ…などと考えたりします。 「事実は小説よりも奇なり。」というが、現実も架空の小説を超えるようなエグいこともあるものだと感じました。

Yahoo!知恵袋を見て思うこと

Yahoo!知恵袋は、難しいことを色んな人が教えてくれる便利なシステムですが、梅雨時の知恵袋にある質問を見ていて思うのは、「エアコンはいつから使ったらよいか」とか、「5月の最初と最後の暑さは違うのか」とかいった困ったものが目立ちます。 感覚的で人それぞれなため自分で考えればよいようなことや、住んでいる地域や、その年の気候の推移によって違うため、聞いても無意味なことが多いようです。 せっかく、いろんな先生に教われるんだから、もう少し意味のある質問であって欲しい…と、個人的に思いました。 まぁ、人によって、「意味のある」という捉え方は様々でしょうが…。

天ぷらへの私の思い

天ぷらは、私の大好物。亡くなった私の父親も好きでした。 でも、美味しい天ぷらを父親に食べさせてあげることが出来なかったのが心残りです。 私の母親は、料理が嫌いで、義務的に毎日の食事を作っていました。いつも同じメニューで、作り方の工夫もしない…そもそも、献立を考えるのから嫌いだったようです。 そういったことで、母親がたまに作る天ぷらは、食感が”モフモフ”で、まるで衣をつけすぎて揚げたフリッターのようなものでした。”サクサク食感” なんて感じたことない(´;ω;`)ウゥゥ 私の前妻などは、結婚していた期間、ただの1度も天ぷらを揚げたことがありませんでした。天ぷらどころか、フライなどの揚げ物は一切作ってくれませんでした。 天ぷらに関して、とっても不幸な家庭で育ち、また、過ごしたためか、今では自分で天ぷらを揚げるようになりました。 季節ごとの食材を楽しんだり、チョッと変わったもの…たとえば、紅しょうがの天ぷらを揚げてみたり…これば、娘に好評でした( ´艸`) やっぱり、食べてくれる人がいると、いろいろ工夫したり、料理方法を改善したりするのが楽しいものですね! 最近では自分の筋トレのために、“鳥のささ身”なんかも天ぷらにしてます(笑) 私自身、料理の嫌いな母親や妻と一緒にいた過去があって、自ずと料理が出来るようになてしまいましたが、嫌味ではなく、お陰様で「料理をすること=食べてくれる人(自分の子ども)がいること」が楽しく、幸せを感じています。 中でも、天ぷらはオールマイティーに食材を美味しくしてくれる料理法なので、食べるだけではなく、作るのも大好きです! 10年も前に、こんな境地になっていたら、亡くなる前の父親にも私の手作りの天ぷらを御馳走出来たのに…などと、「後悔先に立たず」状態です。 これからも、天ぷらの作り方を研究して、より旨い天ぷらを娘と自分のために作っていきたいと思います。 天ぷらって、美味しいなぁ…

木田梅子のような大きな器の女性

伊藤博文の奥方として、伊藤を支えた日本初のファースト・レディ… 木田梅子 。 度重なる伊藤の女性スキャンダルにもかかわらず、夫を支え続けて近代日本の礎を築いた功労者をご存知ですか? 別に男性の浮気を推奨・賛美しているのではなく、彼女の考え方を尊敬しているのです。 夫の女癖の悪さを受け入れつつ、夫が将来の日本を背負って立つ人間であることを信じ、伊藤を弁護し、自由に活動させた…まるで母や姉のような存在。 伊藤を育てたのは梅子なんだろう…などと考えてしまいます。 志を持って、日本の未来を切り開こうとする伊藤の目標を理解し、支援し続けた素晴らしい女性。 やはり、男性というものは、優れた女性に作られるもののようです。成功している人々を見ると、その多くは、素晴らしい奥方に支えられていることからも分かると思います。 女性があって、はじめて男性が成り立つというのが、私の理屈です。 優れた女性なくして、男性の成功はないと思います。

大家族っていいなぁ…フジテレビ「うるしやま家」を観て

夫婦と5男6女で、更に今年六男が生まれて14人家族か…賑やかでいいな。 子だくさんだと、経済的にも面倒見るにも大変だろうけど、その家族は子どもたちといい関係を築けているようで、皆一緒に家族として明るく盛り上がってるから、きっと幸せなんだろうな…って。 私自身の生い立ちから2度の結婚失敗まで、私自身は家族が一体になったことなど一度もなかったので、そういった「大家族」のテレビ番組が好きで、放送があると必ずと言っていいくらい観ています。 本当の意味で「みんな一緒」っていう家族は、本当にいいですよね。悪いことがあっても、一緒だから乗り切れるし、幸せなことは倍増して感じられるんだろうなぁ…。 「うるしやま家」には、これからも明るく幸せに暮らして欲しいです。そして、そんな幸せな家族の風景を見せてもらえて、私自身も幸せな気持ちになれたことを感謝します。 家族っていいなぁ。私ももう一度家庭をもちたいな。今度こそは、みんな一緒で暮らせる家族を。 夫婦間、そして親と子が両方とも良い関係を築ければ、 きっと明るく幸せな家庭になるんだろうな…なんて、そんな家庭の経験がないから分からないけど。きっとそうだと思う。 小さいときからの私のあこがれは、明るい家庭。できれば大家族で。 人間100年…もう一度、自分の理想の家庭づくりを目指したい。今度はしっかりと考えて結婚することから始めて…ね!

明日は「母の日」

明日の「 母の日 」を前に、テレビ観てると「お母さんの思い出」とか「母親自慢」とかいったテーマでインタヴューなどが行われています。 何か、わたし的にはあまり考えたくないテーマだったりします。 まぁ、敢えて思い出せば、私が小学生の頃などは、「優しいお母さんが欲しいな…。」とか思っていて「あったかいお母さん」に憧れていたものです。 私が遊びに行く、学校の友だちの家のお母さんは皆、明るくて優しかったから、自分の現状を恨めしく思っていたのを覚えています。 私の母親は2018年の現在、まだ存命中ですが、出来ればもう二度と会いたくないです。 昔からよく言われた言葉は「生まなきゃよかった」とか「がっかりだよ」とか「恥ずかしい」が多かった…っというか、それしか思い浮かばないのがまた悲しい限りです。 気にくわないことがあると、すぐに樫の木の重く固い「棒」をもって、私を追いかけまわしました。 私がご近所で「いたずら」をすると、何故悪いのかを説明するのではなく、ただ「恥ずかしい」といって怒るだけでしたし…。 だから幼少の頃から、どこか親子だと認めたくない気持ちがあり、いつの日か、ある意味で「他人以下」の感情しか持てなくなっていました。 正直、現在でも尚、「母親」として認めたくないです。それでも現実はとても不愉快で、間違いなく「あの人」が私を生んだ母親なのでしょう。 最近ニュースで聞く、我が子を殺す母親よりはマシでしょうが…上を見ても下を見てもキリが無い。 とりあえず殺されなかっただけでも感謝…といったところです。 お陰様で、私自身の理想的な親としてのイメージは、おそらく「まとも」に醸成されました。 それが、自分自身の子育てに大きく反映されていると思います。 子どもはまず、「居てくれる」だけでも幸せです。たとえば学校の成績が良かろうが悪かろうが、 親の言うことを聞いてくれようがくれまいが、生まれてきてくれて良かった! 反抗期だってあるわけですから、そういうときは上手く距離を保ちながら…とにかく、家族なんだから、しっかり寄り添って一緒に生きていることが幸せなんだと実感しています。 私の子どもたち…私の子どもとして生まれて来てくれてありがとう! …それが、母の日を前に私が思うことです。

より良い毎日は、肯定的な言葉の積み重ねから

夫婦間での会話で使われる言葉が7割以上否定的になると離婚が決定的になるという統計結果があるそうな…それを証明するかのように、私自身は見事に離婚。 彼女の使う言葉は概ね「無理」「ダメ」「知らない」「死ね」「馬鹿じゃない」が殆どだったように覚えている。 一応、その点を本人に説いたつもりだったが、受け入れてはもらえず、私自身が結局、彼女と話さえしたくなくなってしまい、夫婦関係の終焉を迎えたという訳です。 まともに話し合いが出来ないから、意思の疎通や考えの擦り合わせが出来ない。だから上手くいくための方向性を見いだせない。当然と言えば当然の流れと結果でした。 そういった経験から、今は自分自身が以前にも増して肯定的な言葉を意識して使うようになってきました。 そのお陰ででか、離婚後の生活は周囲の人々とは前にも増して円満となりました。 元妻は、私の反面教師になってくれたからでしょう。

葉桜もまた良し。桜まつり後の角館

2018年の5月6日(日曜日)。 今年は娘の部活スケジュールの関係で、毎年恒例の 角館 での花見は今日になっていまいました。 現地の桜まつりは昨日まで。 例年でも、ゴールデンウィーク前半が花見のピーク。 その結果… 見事な 葉桜 (笑) でも、ほんの一部にだけ八重桜系?の桜が! 親子二人でささやかな花見が出来ました♪ 清々しい青空で、桜祭りの後だけあって、観光客も少なく、ゆっくりと街を散策出来ました。 去年もお世話になったあ「安藤醸造 花上庵(かじょうあん)」で娘の大好物の「味噌たんぽ」を堪能。 待ち遠しかった東北の短い春の一日を娘と一緒に過ごせたことは、とても幸せです。 来年は、娘は3年生で部活が無いから、丁度良いお花見時期に来れるといいなぁ。

桜の種類別、咲く順番

関東以西では花見の季節はとっくに過ぎてしまいましたが、今週末、私共一家は東北の角館に桜を見に行く予定なので、植物図鑑で桜の種類別の開花順を調べてみました。 図鑑に載っていたのは… ヤマザクラ、ソメイヨシノやシダレザクラは3月~4月。 八重桜やサトザクラは4月~5月。 開花が早かった今年、角館では果たして桜を観ることが出来るのだろうか…!

我が家のゴールデンウィーク恒例行事

我が家の恒例行事…ゴールデンウィークにすることは…東北で花見! 秋田の角館に行って、東北の桜を楽しみながら、味噌たんぽとババヘラを食べるのが、娘と私の年間恒例行事の1つです。 うちの子は、味噌たんぽが大好きで、3軒の店をはしごして味の違いを楽しんでいるようです。 ちなみに私は2本で降参。 ただ、今年の角館訪問予定は2日後の5月6日(日)。桜の開花が早かったので、花が残っているかどうかが心配ではありますが、無かったら無かったで、葉桜を楽しんでこようと思います。 私たちにとって大切なのは親子一緒に共有出来る時間。だから、どこでも、何でもいいんです。 一緒に体験して、一緒に感動して…それが子どもが大きくなってから自分で家庭を持った時に活きてくることだろうから。 人と人とのつながりを大切にして、共感しあえる家庭を作って欲しいという、私の思いを伝えたい。 私自身が子どもの頃、父親がしてくれたように…。

「産まなきゃよかった」はサイテーの言葉。

ドラマなどで、母親が「 産まなきゃよかった 」と自分の生んだ子どもに言っているのをテレビで何度か見たことがある。 現実で考えれば、人の親として、絶対に言ってはいけない台詞ですが、私の母親は普通に言います(爆)それも私たち兄弟が小さいときから。 別に、他人に迷惑をかけているわけでもないのに、何故かそう言われ続けてきました。 母親が、自分の思い通りにならないと、そのように言ってくるようです。 そういった訳で、今では誰も母親の元には行きません。私も、弟も。 家族がそんなですから、他人は尚更です。友だちもいないようで、1~2年に1回程度の様子見で、母親の妹が顔を出すくらいで。 誰も母親には寄り付きません。 自ら発する言葉が人を遠ざけているということに気づけない「哀れさ」を感じます。 ご近所さんとは挨拶程度の付き合いだけのようで、そんなときは愛想良く振舞っています。が、それ以上の付き合いはなく、人との付き合いがかえってストレスになるようです。 話は戻って「産まなきゃよかった」という言葉が、何で禁句なのかということを、私が大人になってから説明したこともありましたが、「だって本当にそう思っているから仕方がない」ということを言われて、今では諦めてしまっています。 世間一般を見渡せば、自分の子どもを殺してしまう母親もいる世の中ですから、そんなのと比べれば、私の方はまだマシなのかも知れませんが…。 メシはただ食わせればいい的に、毎日同じものを食べさせられ、同じものなのに、毎日味の濃さが違っていて「やっつけ仕事」的に育てられてたんで(笑) まぁ、殺されなかっただけでも感謝しなきゃ…などと考えるしかないようで悲しい。 そんなだから、高校生になってアルバイトを始めると、自分で稼いだ金で外食が多くなり、家で食事をすることも少なくなっていき、大学生になった以降は家から通えるところを、わざわざアパートに住んで、自分でバイトをして生活していたくらいです。 せめて、母親を反面教師手して、自分は子どもを大切に育てようと考えて今まで生きてきたので、それで「よし」としようと考えています。 ああ、サイテーな母親で良かった!神様、ありがとうございます! 私によりよく生きるための試練を与えてくれて…。

保険は掛け捨て。貯金じゃない!

何十年も昔…金利が高くて郵便局にお金を10年預けると2倍になった時代。 その頃の保険の勧誘は、「貯金代わりに」といった売り文句で保険の加入者を集めていました。 そういった時代に「保険」のイメージを作られてしまった年配の方々は、「保険=掛け捨て」という概念を理解できないようです。 最近でも、「掛け捨てじゃない」 といっている保険の商品がありますが、仕組み的には保険料を「掛け捨て」部分」と「貯蓄」部分に分けてあって、掛け捨てのみの保険より、保険料が「貯蓄」分だけ高くなっているというものです。 仕組みを知れば「なぁんだ」と言って、掛け捨てじゃないと言っている保険をバカバカしく思うのですが、昔の高金利時代の感覚のままの人は、 それが普通の保険だと勘違いを拡大してしまいます。 うちの母親も、そんな悲しい人々の中の一人の様で、基本的に保険は「掛け捨て」であるということが理解出来ないようです。 最近の銀行が審査なしのクレジットカードを広めようと営業した結果、たくさんのリボ払い地獄に陥ってしまっている人々を増やしてしまうのも然り…。 無知の人々(経済的弱者)を勧誘して、お金を動かして利益を得ようとする行為… 金融関係の企業の悍ましさとは、そういったところにあるんですね。