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投稿

10年使ったレコードプレーヤーが壊れた( ;∀;)

10年前にドンキで買った「情熱価格」の多機能 レコードプレーヤー が、遂に壊れた… 確か1万円くらいだったような気がするが、10年ももってくれて助かった。ありがとう。 (プレーヤーの)晩年は、回転数もままならず、アームのウエイトが変になって針が飛んだりしていた。   新規に購入したのはソニーの4万円クラス。 ブルートゥースで再生音を聴くタイプ。 ただ、今のところパソコンに接続しての録音機能がうまく作動しない…何とか頑張ってみるが…。  
最近の投稿

アイのない恋人たち というテレ朝のドラマについて…

テレ朝のドラマ「 アイのない恋人たち 」が視聴率が低くて苦しんでいる…という記事を読んだ。   私的には、ドラマの中の青春真っ盛りをやや過ぎた若者たちの群像が、昔の自分と重なって懐かしさを感じるのだが。 私自身は丁度「ふぞろいの林檎たち」をリアルで観ていた世代。   「ふぞろいの…」は、話の内容としては「アイのない…」とは異なるものの、どちらも「あるある」といった感じで観ていたのだが…。   まぁ、昭和にマッチングアプリは無かったんだが。それ以外は昭和でもあったと思う。   詰まるところ、私の年代にしかウケないからなのだろうか⁉   そう考えると、自分が年をとったのか、はたまた時代に乗り遅れているのか…などという無意味なことを考えてしまう。   でも、それはそれで良いと思う。別に後ろ向きに生きているわけではないのだから‼

2月の5日~6日にかけて、東京でも積雪。

東京 では何年かに一回、1㎝を超える 積雪 がある。   いつもなら雪だるまを作ると、泥ダルマになってしまうが…数センチ積もれば、何とかまともな雪だるまを作ることが出来る。 大人になると、積雪はマイナスのイメージになるが、子どもたちは別。   近所では、夜の9時なのに自分たちの家の前で子どもたちが雪遊びをして燥いでいた。(親の監視のもと)   そんな楽しそうな子どもたちの声を聴くと、自分自身の幼少時代を思い出し、なんだか幸せな気分になる。 

「イッキ見」で自由な時間を貪る年初め。

  2024年 の年始は、大晦日から続く「イッキ見」。 ここ数年は働きづめで、贅沢に無駄な時間をむさぼることも無かった。 だけどね、今回は思い切って自由な時間を貪ってみた!   今までゆっくりと見たことのない話題のドラマやアニメを見まくった。 目標に向けて、何一つ関係は無いけどね。 でも、心の充電は十二分に出来たと思う。新しい感触とともに。 たくさんの動画を見て、いろいろと感化されて…きっと明日からの目標達成に役立つはずだ。   時間を気にせず、ただやりたいことをやる…そんな無駄も大切だと思う。

2024年の初投稿‼毎日の充実度が高まっていて楽しい生活を送っている自分がいる。

今年は、昨年末からしっかりと休暇をとって自由な時間を過ごしている。 幸せな年末年始だ‼ そして、近年は毎日の充実度が日に日に高まっていて、それもまた幸せ。 自由な時間は、経済的な自由から生まれる。別に金持ちじゃなくても。 欲しいものが手に入り、好きな時に好きなだけ休める…それが贅沢。高価なものが欲しいわけでもないので。 そこそこの収入や蓄えがあれば、それを元にしてしてバランスよく遊んで休む。 食べるための仕事ではなく、楽しむための仕事。 そこから心の余裕も生まれる。 いかにゆとりをもって生きるか…それが幸せを感知しやすい生き方なのではないだろうか。

昔いた場所に戻って…それを歓迎してくれる人がいるだけで幸せ。

故郷や古巣…自分が元居た場所に行ったとき、歓迎してくれる人がいるだけで幸せだ。 自分の存在を実感できる一瞬でもあるかも知れない。 自分がいるだけで喜んでもらえるなんて…たとえそれが家族でなくとも。 ただそれだけで生きて行ける。 ありがとう 、みんな。

年末の大掃除は12月中旬に完了すべし‼

師走は、何かと忙しい一か月。 それでも、さわやかな気持ちで新年を迎えたいもの。 そのためにも年末の大掃除は必須。   だが…   会社の年末休みまで放っておくと、年末の帰省の準備や買い出しなどでバタバタしてしまう。   だから‼   年末の大掃除とはいえ、年末にす必要はないのだから、12月に入ったあたりに済ませてしまうことをお奨めする。 特に換気扇やガスレンジなどの手間がかかる掃除は尚更だ。 実施する時期をほんの少しだけずらすだけで、年末の貴重な時間の余裕が出来る。 掃除というとなかなか重い腰が上がらないのは理解できるが、ゆとりの年末年始を迎えたいのなら是非ともやって頂きたい。

クライアントとの契約内容を反故にする残念な警備会社

私の知人に何年も工事現場の警備員をやっている人がいる。 彼から聞いた、一般人に知られざる現実… 彼の勤務する警備会社では、契約している建設会社との約束の人員の人数を頻繁に不足させたまま契約を継続しているという。 クライアントである建設会社としては、役所に出してある人数で、その警備会社と契約したハズが、現実的には1名欠員、2名欠員など… それが常態化してしまっているとのこと。 ただ、工事の警備業界自体が腐っているので、他の警備会社に替えたとしても、似たり寄ったりの結果になることが分かっているので、担当営業に𠮟責はするものの、半ば諦め気味なんだとか… いったい工事の警備業において、契約って何なんでしょうね。

現在の世界において、法とは何か、法治国家とは何か。その意義とは。

某テレビ討論会で、橋本氏と櫻井氏が論戦をしていた。 そこで感じたこと… 橋本氏は法に基づいて全ての行為を行うべきだという主張を常々している。 そこで突っ込みたいのは、法を順守して決め事が出来るのは、あくまでも法にのっとった国事を行っている国家同士の場合である。 これが一方は法治国家、もう一方は無法国家の場合どうなるのか… 例えばボクシングや野球などであれば、ルールに基づいて試合をしていたら、反則行為をする相手に勝てるだろうか。 応えは「否」。 それでも法を自分たちだけが守っていたら、永遠に相手の無法行為を止めることは出来ないだろう。 ただ、民主国家としては、それを声高に言うことは憚れる。 だから、形式上の美辞麗句を並べながら無法な行為の正当化を図りつつ物事を進める必要があるのだ。  無法な行為の正当化…やり過ぎては自らの民主主義を否定してしまう行為だが、ある程度までは行使しなければ、無法者には絶対に対抗できない。 テロ組織のハマスに対してだけではなく、ロシアや北朝鮮、それに中国などのような無法国家に対しても同様だ。 言い方を変えれば、無法者は無法者独自の法に準じた価値観を持っていて、それに従って行動している。つまり、彼らの言う方なのだ。 だから、同じ法というのでなければ法を守る事自体が間抜けな行為。 だから現状、世界中ではやったもん勝ちということになっている。 5大国の拒否権がある以上、国連は機能しない…というより、国連そのものには法を強制する力はない。全世界を1つとする秩序は当初から存在していない。とりあえずの形式上の方便であるのが国際法であるに過ぎない。 (もちろん1つにする努力は必要であるが、多様性を考えれば永遠に1つになることは不可能であろう。)   法の下に無い相手に対して、法に則った対応は無意味だ。(そこであたかも法に則って行っているかのように見せかけるよう体裁を整えつつ、非合法な手段に出る以外に、無法者を倒す手段は無い。) よって結論。 私は法を守らない輩に対し、法治国家は超法規的な対応をしなければならないこともあると考える。