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日本共産党の歩み(歴史)…誕生から現在まで

  日本共産党 の歴史は、設立当初の「外国(ソ連)の強い影響下と資金援助による非合法活動」から、現代の「外国の干渉を徹底的に排除し、党費と機関紙収入のみで運営する合法議会政党」へと劇的な変化を遂げています。 党の「利害関係国」と「資金の出どころ」という2つの軸を中心にして、その歩みを時代順に整理します。 結党・非合法の地下活動期 1922〜1945年 【利害関係国】 ソビエト連邦(コミンテルン) 【資金の出どころ】 コミンテルンからの秘密資金 1922年、日本共産党は「コミンテルン(国際共産主義運動の指導組織)の日本支部」として非合法に結成されました。当時の絶対的な指導国はソ連であり、 日本の共産党は独自の裁量を持たず、モスクワからの指令に忠実に従う組織でした。 活動資金のほぼすべては、コミンテルンから密かに持ち込まれた活動資金(コミンテルン資金)に依存していました。その後、治安維持法による徹底的な弾圧を受け、党組織は一度壊滅状態に陥ります。 戦後の合法化と「武装闘争」の時代 1945〜1955年 【利害関係国】 ソビエト連邦、中華人民共和国 【資金の出どころ】 ソ連・中国共産党からの秘密援助資金 敗戦によって合法政党として再建されますが、1950年にソ連(スターリン)を中心とするコミンフォルムから「平和革命路線」を批判されます。これに従った一部の指導部(徳田球一、野坂参三ら)は中国の北京に亡命し、「北京機関」を設置。ソ連や中国の強い指導のもと、日本国内で火炎瓶闘争などの「武装闘争」を展開しました。 この時期の非合法活動の資金は、 ソ連および中国共産党から提供された莫大な秘密工作資金 (いわゆる「人民艦隊」による密輸や地下送金)で賄われていた ことが、冷戦後の旧ソ連の機密文書公開などで明らかになっています。 武装闘争の放棄と「自主独立」路線の確立 1955〜1960年代 【利害関係国】 ソ連・中国との関係断絶(自主独立へ) 【資金の出どころ】 外国資金からの脱却、機関紙「しんぶん赤旗」の販売収入へシフト 武装闘争によって国民の支持を完全に失った 党は、1955年の「第6回全国協議会(六全協)」で武装闘争路線を放棄します。その後、宮本顕治らが主導権を握り、外国の干渉を排除する「自主独立」路線を打ち立てました。 1964年にソ連共産党と、196...

歴史の教訓としての「裏切り者の末路」…香港の場合

歴史の教訓としての「裏切り者の末路」から見て、現代の「香港」を考えてみます。 古代中国の戦国時代では、裏切り者が用済みになると新しい主人(秦など)からも「自分の国を売るような奴は信用できない」と処刑されるケースが多々ありました。現代の国際政治、特に香港の事例においては、物理的な処刑こそありませんが、 「国際的な孤立」や「自由の喪失」という形での代償 が目立ちます。 香港が中国共産党(CCP)の直接的な支配下に入る過程で、中心的な役割を果たした人物・組織とその現状について整理します。   香港の体制移行を推進した主な人物・組織 香港の自治(一国二制度)が実質的に形骸化したとされる「香港国家安全維持法(2020年施行)」の前後に、中国政府の意向を強く反映させた主な面々です。 1. 林鄭月娥(キャリー・ラム) 役割: 当時の香港特別行政区行政長官。逃亡犯条例改正案(2019年デモの引き金)を強行し、国家安全法の導入を全面的に支持しました。 現状と末路: 2022年に任期満了で退任。現在は事実上の引退状態です。 米国からの制裁: 米国財務省の制裁対象となり、米国内の資産凍結だけでなく、 「銀行口座の開設やクレジットカードの使用」ができなくなりました。 彼女自身、 メディアのインタビューで「自宅に現金を積み上げて生活している(銀行サービスを受けられないため)」と語っており、かつての国際都市のトップとしては非常に不自由で、世界から切り離された生活を余儀なくされています。 2. 李家超(ジョン・リー) 役割: 当時の保安局長(警察トップ)。デモを武力で鎮圧し、国家安全法の執行を主導しました。 現状: その「功績」が評価され、2022年に行政長官(香港のトップ)に昇進しました。 末路の予兆: 昇進はしましたが、彼もまた米国からの制裁対象です。国際的な会議(APECなど)への出席を拒否されたり、YouTubeのアカウントを停止されたりと、西側諸国からは「統治者」として認められない孤立した状態にあります。 3. 親中派政党「民建聯(DAB)」 役割: 香港最大の政党。議会(立法会)において、民主派を排除し、北京主導の法案を次々と可決させる「受け皿」となりました。 現状: 現在の香港議会を独占していますが、かつてのような「市民の声を代弁する政党」ではなく、北京の指示を...

戦国七雄で最後に残り、秦に征服された「斉」の滅亡(紀元前221年)

戦国七雄で最後に残り、秦に征服された「斉」の滅亡(紀元前221年)は、 「将軍が善戦する」ことすらなく、ほぼ無抵抗であっけなく降伏 しています。   なぜ無抵抗だったかというと、趙の時と同様にここにも后勝(こうしょう)という斉の宰相(政治のトップ)による強烈な裏切りがあったからです。 后勝は長年にわたり秦の密偵から莫大な賄賂を受け取っており、主君である斉王・建(けん)に対して「秦には逆らわず、他の国が滅ぼされても助けに行かず、軍備も整えないようにしましょう」と吹き込み続けていました。 いざ他国がすべて滅び、秦の軍勢(王賁が率いる軍)が斉に攻め込んできたとき、斉は軍隊の訓練も準備も全くしておらず、戦う意志すら失われていました。そのため、将軍たちが抵抗する間もなく、斉王は戦わずに降伏してしまったのです。 斉の裏切り者「后勝(こうしょう)」の末路 国を売って秦に味方し続けた裏切り者・后勝でしたが、彼もまた非常に惨めな末路を辿りました。 后勝の末路 斉が降伏し滅亡した後、后勝は「これだけ秦のために働いたのだから、さぞ厚遇されるだろう」と考えていました。しかし、秦の始皇帝(政)は「自らの祖国や主君を平気で金で裏切るような卑劣な者は、秦にとっても信用できず生かしておく価値がない」 として、用済みとなった后勝をあっさりと 処刑してしまいました。 騙された斉王・建の末路 后勝の言葉を信じ切って国を明け渡した斉王は、命だけは助けられるという約束で降伏しました。しかし、秦によって「共(きょう)」という辺境の地の松や柏の林の中に幽閉され、食料も与えられず、 最後は誰にも助けられることなく餓死 するという悲惨な最期を迎えました。 まとめ 「斉」 は、宰相の 后勝 の裏切りによって 戦うことすらできずに滅亡 しました。 斉を売った后勝の末路は、 秦に見限られて処刑 されるという自業自得なものでした。

李牧は誰に裏切られて殺されたのか…そして裏切った人物たちの末路

李牧(りぼく)は「三国志」の時代(紀元後2〜3世紀)の人物ではなく、それより約400年ほど前の「春秋戦国時代(紀元前3世紀)」の人物です。 現在大ヒットしている漫画『キングダム』にも強敵として登場する、中国戦国時代を代表する「趙(ちょう)」という国の天才的な名将です。 秦の王翦(おうせん)の侵攻に対し、趙の最前線で徹底抗戦して秦軍を苦しめていた将軍は、李牧(りぼく) と、その副将である 司馬尚(しばしょう)という「2人の名将」でした。   李牧は誰に裏切られ殺害されたのか? 李牧を裏切り、死に追いやった中心人物は郭開(かくかい) という趙の奸臣(悪徳な重臣)と、暗愚な主君である 幽繆王(ゆうびゅうおう)です。 秦の計略と郭開の裏切り: 当時、中華統一を目指す「秦」の軍勢を、李牧は圧倒的な采配で何度も撃退していました。まともに戦っては李牧に勝てないと悟った秦の名将・王翦(おうせん)は、趙の内部から崩す工作に出ます。秦は趙の重臣である 郭開 に多額の賄賂を贈り、「李牧が謀反を企てている」という嘘の噂を趙の国内に流させました。 幽繆王による処刑(暗殺): 郭開の讒言(ざんげん)を信じ込んだ主君の幽繆王は、李牧に将軍の罷免を命じます。しかし、今自分が最前線を離れれば国が滅びると分かっていた李牧は、この命令を拒否しました。これを「やはり謀反の証拠だ」と決めつけた幽繆王は、密使を送って李牧を騙し討ちにし、処刑(あるいは自刃)させてしまったのです。 裏切った人々の末路 国を守る最大の盾であった李牧を自らの手で失った趙は、彼の死からわずか数ヶ月後に秦によってあっけなく滅亡させられます。裏切った二人の末路は非常に悲惨なものでした。 郭開(かくかい)の末路 歴史書である『史記』には彼の明確な最期は記されていませんが、明代に書かれた歴史小説『東周列国志』などで描かれる彼の有名な末路は以下の通りです。 趙が滅亡した際、郭開はちゃっかりと秦に降り、これまでの功績(李牧を殺して秦に貢献したこと)から厚遇されようとしました。しかし、趙の都に隠しておいた莫大な私財(賄賂などで得た金)を回収して秦の都へ運ぶ途中、 盗賊に襲撃されて殺害され、財産もすべて奪われました。 (この盗賊は、李牧を慕っていた趙の兵士たちの残党だったとも言われています)。 幽繆王(ゆうびゅうおう)の末路 自らの...

イランの歴史と政治体制

イラン の政治システムは「二重の権力構造」 になっており、 最高指導者 が事実上かつ絶対的なトップです。 軍隊が「国軍」と「革命防衛隊」に分かれているように、政治も「国民に選ばれる共和制(民主主義)の部分」 と、 「宗教に基づく神権制(イスラム法学者の支配)の部分」が混在する、世界でも類を見ない複雑な仕組みになっています。   分かりやすく、この「二重構造」を解説します。 1. 絶対的トップ:最高指導者(神権制の頂点) イランにおける最高の権力者は大統領ではなく、「最高指導者」です。国のあらゆる最終決定権を握っています。 権限の強さ: 国家の基本方針(外交、安全保障など)の決定権を持ちます。軍(国軍と革命防衛隊の両方)、司法、国営メディアのトップを直接任命する権限があります。 大統領との関係: 大統領よりも上の立場であり、大統領の決定を覆すことも可能です。 2. 日常の政治を行う:大統領と政府(共和制の部分) 私たちがニュースでよく見る「イラン大統領」は、あくまで「行政(政府)のトップ」に過ぎません。 役割: 国民の直接選挙で選ばれ、内閣を組閣して日々の経済政策や行政を担います。(日本でいう首相に近い役割ですが、権限はもっと制限されています)。 限界: 外交や軍事の根本的な決定権は最高指導者や革命防衛隊に握られているため、大統領が独自に大きな方針転換(例えばアメリカとの劇的な関係改善など)を行うことは極めて困難です。 3. このシステムを支配する「強力なフィルター」 では、「国民が選挙で改革派の大統領や議員をたくさん選べば、国が変わるのでは?」と思うかもしれませんが、そうさせないための 強力なブレーキ役 が存在します。それが「護憲評議会」です。 護憲評議会(12名のメンバー): 半分は最高指導者が直接任命し、残り半分も最高指導者がトップを務める司法府からの推薦で決まるため、実質的に最高指導者の意向で動く機関です。 絶大な権限: 立候補者の事前審査: 大統領選挙や国会議員選挙に出馬する人物を審査し、「イスラム体制に忠誠を誓っていない」とみなした人物を 立候補の段階で失格 にすることができます(これにより、体制に批判的な人は選挙にすら出られません)。 法律の拒否権: 国会(国民の代表)が法律を作っても、「イスラムの教えや憲法に反している」と判断すれ...

クルド人の歴史と民族性、世界との関係の現状について

クルド人 は、独自の言語と文化を持ちながら「 国を持たない世界最大の民族 」として知られています。その歴史は、常に大国の思惑と地政学的な波に翻弄されてきました。 クルド人 の歩みを、民族性の特徴と合わせて時系列でまとめます。   1. クルド人の民族性 出自: インド・ヨーロッパ語族に属する。イラン系民族に近く、トルコ人やアラブ人とは異なる独自の言語(クルド語)と文化を持つ。 宗教: 多くの人がイスラム教スンニ派だが、シーア派や独自の宗教(ヤズィーディー教など)を信仰する層もおり、多様。 アイデンティティ: 中東の山岳地帯「 クルディスタン 」を故郷とする「山の民」としての自負が強い。 2. 歴史の変遷 【古代〜中世】 帝国の狭間と英雄の誕生 起源: 古代メソポタミア近隣の山岳地帯に住んでいた諸民族がルーツとされる。 12世紀: 十字軍を破った英雄 サラディン (アイユーブ朝の創始者)はクルド人として有名。当時は「国」よりも「宗教(イスラム)」や「部族」のつながりが優先された時代だった。 【近世】 二大帝国の緩衝地帯 16世紀〜: オスマン帝国(トルコ側)とサファヴィー朝(ペルシャ/イラン側)の国境地帯に居住。自治を認められつつ、二大勢力のクッション役を担う。 【近代】 「約束」と「分断」(20世紀初頭) 1920年(セーヴル条約): 第一次世界大戦で敗れたオスマン帝国が解体され、クルド人の独立国家建設が一旦は約束される。 1923年(ローザンヌ条約): トルコ共和国の建国に伴い、先の約束が白紙撤回される。クルド人の居住地は トルコ、イラク、イラン、シリア の4か国に分断された。 【現代】 抑圧と抵抗、そして自治への模索(20世紀後半〜2026年) 各国での抑圧: 各国で少数民族として同化政策や迫害を受ける(例:イラク・サダム・フセイン政権による化学兵器攻撃など)。 21世紀初頭: イラク戦争後、イラク北部に「クルド自治政府(KRG)」が誕生。事実上の半独立状態となる。 対IS戦(2010年代〜): 過激派組織IS(イスラム国)との戦いで、クルド人勢力(YPGやペシュメルガ)が地上戦の主力として活躍。国際的な存在感が高まる。 現在(2026年): シリア北部での自治権維持や、トルコ国内での権利拡大を巡る緊張は続いている。依然として「自...

1989年の第二次天安門事件(六四天安門事件)の経緯

1989年に北京の天安門広場で発生し、学生や市民による民主化要求運動が 武力弾圧 された「第二次 天安門事件 (六四天安門事件)」について、その経緯を説明します。 これは、中国の改革開放路線が抱えていた矛盾が爆発し、その後の中国の進路を決定づけた重大な事件です。   1. 背景:改革の光と影 1980年代、中国は鄧小平の指導下で「改革開放」政策を進め、急速な経済成長を遂げました。しかし、その一方で深刻な問題も生じていました。 経済の歪み: 急激なインフレ(物価上昇)が国民生活を圧迫しました。 腐敗と格差: 一部の官僚やその親族が権力を利用して不正に富を蓄え(官倒)、貧富の格差が拡大しました。 民主化の渇望: 経済が自由化するにつれ、政治的な自由や民主化を求める声が学生や知識人の間で高まっていました。 2. きっかけ:改革派リーダーの死 1989年4月 、政治改革に積極的で、学生からも人気があった元総書記・ 胡耀邦 (こようほう)が死去しました。 彼の追悼をきっかけに、学生たちが天安門広場に集まり始めました。当初の追悼集会は、次第に 「汚職反対」「民主化推進」「報道の自由」を求める大規模な抗議デモへと発展 していきました。運動は学生だけでなく、 不満を持つ一般市民や労働者にも広がりました。 3. 展開:対立と戒厳令 デモが長期化・巨大化する中、共産党指導部の対応は分かれました。 穏健派(趙紫陽 総書記ら): 学生との対話による平和的な解決を模索しました。 強硬派(李鵬 首相ら): デモを「動乱」と断定し、力による鎮圧を主張しました。 最終的に、 実質的な最高指導者である 鄧小平 が強硬路線を支持 しました。 5月20日 、北京に 戒厳令 が敷かれ、軍隊が市内に投入されましたが、市民がバリケードを築いて抵抗し、軍は広場に進入できない状態が続きました。 4. 結末:武力弾圧(6月4日) 1989年6月3日深夜から6月4日未明 にかけて、事態は最悪の結末を迎えます。 戒厳軍が戦車や装甲車を用いて強行突入を開始しました。軍は実弾を発砲してデモ隊や市民を制圧し、天安門広場を強制的に排除しました。 この過程で、学生や市民に多数の死傷者が出ました (死者数は数百人から数千人まで諸説あり、正確な数字は不明です)。 5. その後:孤立と経済への回帰 事件は内外に大きな...

元来、中国は「中華民国」だった。毛沢東による中国共産党の躍進により「中華人民共和国」にとって代わられた経緯。

「本来は中華民国が中国であった」という視点は、歴史的な正統性や国際社会における認識の変遷に基づいた一つの解釈です。この視点を裏付ける歴史的な事実の流れを、第二次世界大戦前から現在に至るまで箇条書きでまとめます。 ここでのポイントは、1912年から1970年代初頭まで、 国際社会の多くが「中華民国」を「中国」を代表する唯一の正統な政府として認識していた という事実です。 第二次世界大戦前(中華民国の成立と統一) 1912年:中華民国の成立 辛亥革命により清王朝が倒れ、アジア初の共和国として中華民国が建国されました。これが近代国家としての「中国」の出発点となります。 1928年:国民政府による全国統一 蒋介石率いる中国国民党が北伐を完了し、南京を首都とする国民政府が中国の正統な統治機構として国際的に確立しました。 共産党の地位 この時期、中国共産党は国内の反乱勢力(共産匪、ソビエト区)として存在しており、国家を代表する政府とは見なされていませんでした。 第二次世界大戦中(連合国としての地位確立) 1937年~1945年:日中戦争における指導的立場 日本との全面戦争において、中華民国政府は国共合作を経つつも、名目上は全中国の抗戦を指導する立場にありました。 連合国「ビッグ・フォー」の一員 中華民国は、アメリカ、イギリス、ソビエト連邦と並ぶ第二次世界大戦の主要連合国(ビッグ・フォー)の一つとして位置づけられました。 1945年:国連創設メンバーと常任理事国 国際連合(UN)の創設に際し、中華民国は原加盟国となり、安全保障理事会の常任理事国の地位を獲得しました。「中国」を代表して国連憲章に署名したのは中華民国の代表団でした。 国共内戦と台湾への撤退(正統性の主張の継続) 1947年:中華民国憲法の施行 南京において、国民党以外の政党や無所属代表も参加した制憲国民大会を経て、現在も台湾で適用されている「中華民国憲法」が施行されました。 1949年:中華人民共和国の成立と中華民国の台湾撤退 国共内戦で共産党が大陸を制圧し、北京で「中華人民共和国」の建国を宣言しました。 一方、中華民国政府は台北へ撤退しましたが、自らが依然として中国全土を代表する唯一の正統政府であると主張し続けました。 1950年代~1960年代(国際社会における認識) 国連における代表権の維持 ...

英国史における主要な出来事(グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国の歴史)

1. 先史・ローマ時代 (~5世紀) ケルト人が居住。紀元1世紀、ローマ帝国がブリタニアを属州化。都市や街道を建設。 ケルト人が居住していたブリテン島に、紀元1世紀、ローマ帝国が侵攻し「ブリタニア」として属州化しました。ローマ人は都市や街道を建設し、北の境界線としてハドリアヌスの長城を築きました。 2. アングロ・サクソン時代 (5世紀~11世紀) 要約: ローマ撤退後、ゲルマン系の諸部族が移住。七王国(ヘプターキー)が分立し、キリスト教が普及。ヴァイキングの侵攻を受ける。 ローマ軍の撤退後、ゲルマン系のアングロ・サクソン人が移住し、七王国(ヘプターキー)と呼ばれる小王国群が分立しました。その後、ヴァイキング(デーン人)の侵攻を受け、イングランドの東半分は「デーンロー」と呼ばれる彼らの支配地域となりました。   3. ノルマン・コンクエストと中世 (1066年~15世紀) 要約: 1066年、ウィリアム征服王がイングランドを征服。封建制度が確立。マグナ・カルタ制定、百年戦争、薔薇戦争を経て中央集権化が進む。 1066年、ノルマンディー公ウィリアムがヘイスティングスの戦いで勝利し、イングランドを征服しました(ノルマン・コンクエスト)。これにより、強力な封建制度が導入され、国内各地に支配の拠点となる城郭が築かれました。   4. チューダー・スチュアート朝と宗教改革 (16世紀~17世紀) 要約: ヘンリー8世による宗教改革で英国国教会が成立。エリザベス1世時代に繁栄。清教徒革命、名誉革命を経て立憲君主制が確立。 ヘンリー8世による宗教改革で英国国教会が成立しました。17世紀には、国王と議会の対立から清教徒革命(内戦)が勃発し、国は王党派と議会派に二分されました。その後、名誉革命を経て立憲君主制が確立しました。   5. 大英帝国と産業革命 (18世紀~19世紀) 要約: 産業革命が世界に先駆けて始まり、経済力が飛躍的に向上。世界各地に植民地を拡大し、「太陽の沈まない国」となる。ヴィクトリア朝の繁栄。 産業革命が世界に先駆けて始まり、英国の経済力は飛躍的に向上しました。強力な海軍力を背景に世界各地に植民地を拡大し、「太陽の沈まない国」と呼ばれる史上最大の帝国を築き上げました。   6. 20世紀と現代 (20世紀~) 要約:...

新元号は645年の「大化」から数えて248番目

新元号 は645年の「大化」から数えて248番目。 ◆飛鳥時代 大化 たいか 白雉 はくち 朱鳥 しゅちょう 大宝 たいほう 慶雲 けいうん ◆奈良時代 和銅 わどう 霊亀 れいき 養老 ようろう 神亀 じんき 天平 てんぴょう 天平感宝 かんぽう 天平勝宝 しょうほう 天平宝字 ほうじ 天平神護 じんご 天平景雲 けいうん 宝亀 ほうき 天応 てんのう ◆平安時代

平成23年3月11日の記憶

今から8年前、私は訳あって盛岡市に居住。 そこであの「 3.11 」に遭いました。 沿岸部では津波による甚大な被害が発生していたまさにそのとき… 盛岡でもライフラインが途絶え、2~3日してやっとで電力が回復。 すると… 震災から3日後、沿岸部では悲惨な状況が続いているのに、盛岡市内の パチンコ屋 には、オープン前から 長蛇の列 …とても信じられない光景を見た記憶があります。 かたや他地域の人々がボランティアや寄付などを行っているのに対し、同じ被災地である岩手県内の被害が少なかった地域ではパチンコに興じる大勢の人々…この事実は、人間の何を表しているのだろうか…今もって、理解出来ない私がいます。 いまだ復興の途上にある沿岸部を中心とする被災地で、元の生活を取り戻すことは出来ないのです。 人の命は、戻ってこないのですから。震災後、8年が経った今、改めて、ただただ被害に遭って亡くなった人々のご冥福をお祈りするばかりです。

木田梅子のような大きな器の女性

伊藤博文の奥方として、伊藤を支えた日本初のファースト・レディ… 木田梅子 。 度重なる伊藤の女性スキャンダルにもかかわらず、夫を支え続けて近代日本の礎を築いた功労者をご存知ですか? 別に男性の浮気を推奨・賛美しているのではなく、彼女の考え方を尊敬しているのです。 夫の女癖の悪さを受け入れつつ、夫が将来の日本を背負って立つ人間であることを信じ、伊藤を弁護し、自由に活動させた…まるで母や姉のような存在。 伊藤を育てたのは梅子なんだろう…などと考えてしまいます。 志を持って、日本の未来を切り開こうとする伊藤の目標を理解し、支援し続けた素晴らしい女性。 やはり、男性というものは、優れた女性に作られるもののようです。成功している人々を見ると、その多くは、素晴らしい奥方に支えられていることからも分かると思います。 女性があって、はじめて男性が成り立つというのが、私の理屈です。 優れた女性なくして、男性の成功はないと思います。

日本の終戦記念日に思う…

今日、8月15日は「 終戦記念日 」。 正確には「日本が天皇陛下の玉音放送を通じて、敗戦を知った日」とでも言おうか。 兎にも角にも、日本の歴史の大きな転機となった一日である。 世界的に第二次世界大戦が終結したのは翌月、9月2日、アメリカ合衆国戦艦ミズーリの艦上で日本が降伏文書に調印した時だ。 日本人の気持ち的に「やっと終わった」と思ったのが8/15なので、日本的にはそのように決まったのであろう。 こんなところも日本人の精神主義的なところが感じられる。 良くも悪くも日本人は「気持ち」だから…。 俺自身は、戦争の体験など勿論ない。 ただ、俺が子どもの頃、正月に成田山へ初詣に行くと、参道の途中に白い服を着た手足や目の無い男の人たちが、楽器などをもって、寄付を募っていたことを非常に鮮明に覚えている。 彼らは太平洋戦争で体が不自由になった元兵士。 俺の亡くなった父親も戦争には行っていなかったせいか、彼らについてはあまり詳しい説明をしなかったように思う。 それでも俺は子どもながらに、戦争の悲惨さを感じ取ったつもりだ。 孫子の「兵法」ではないが、戦争というものは常に違う原因にて起こる。 よって、ただ反戦を唱えるだけではなく、その時代時代によって変化していく戦争の原因となりえる事象を見つけ出し、解消していく努力が必要なのだ。 兵器を所有しているから戦争が起こるわけではないのである。 現に永世中立国のスイスなどは戦争を起こしたりはしていない。 完全に自衛のための軍隊を所有しているのである。 現代はテロという無差別攻撃をされる時代である。 兵器をもっていようがいまいが、いうことをきかなければ攻撃される。 しかも、北朝鮮や中国のように、自国の利益を優先するために、国際法を無視して実力を行使している国もまだまだ存在している。 そこのあたりが、最小限の武力が必要な所以である。 日本の終戦記念日の今日、 俺個人としては、精神主義的且つ自虐的な思想を捨て、駄々を捏ねている一部の発展途上国家が焚き付けようとしている火種を国際法に基づいて適切に処理し、戦争の発端となるような非常識な行動をやめさせるべきだ。 そして、そのことを通じて一日も早く日本が日本人の手で自衛出来るような行動を断固としてとれるようになって欲しいと思っている。

サンタクロースというキャラの起源

気づけば今日は11月30日。 あと一ヶ月で2014年もおしまいか… 来月早々、娘たちのクリスマスプレゼントを探さなければ! クリスマス と言えば「 サンタクロース 」。 その「サンタクロース」の故郷は北欧だというが、ある説によると、 中東にあるシリアに居た「ニコラス」という男がサンタクロースの 起源(モデル)になったという。 彼は、信仰心が強く、子どもたちを愛し、いつしかプレゼントをするようになっていた…という説。 ちなみに、プレゼントを配るために乗っていたのは 「 トナカイ 」ではなく「 ラクダ 」だったそうで…中東だけにww まぁ何にしても、クリスマスは 子どもたちが主役のイベントだってことだね! でも、シリアって人口の9割がイスラム教徒のはずだが、 ニコラス氏は数少ないキリスト教徒の一人だったのかなぁ… なんて思いを巡らせたりする俺w 中東の砂漠の砂とヨーロッパの雪…だいぶ違うけど、 その違いが妙に面白いかも。ラクダとトナカイみたいに。 さっきは「子どもたち」のイベントだって言ったけど、 プレゼントに何をあげるか考えている俺自身、 けっこう楽しいもんだ! わが娘たちが喜んでくれるプレゼント探しの始まり始まり! これで1~2週間は幸せな気分でいられるな。 ありがとう!クリスマス! 俺は、とっちらかといえば神道派だけどねww

チョコレートのトリビア「キットカット」編

来月、 バレンタインデー もあることなんで!?チョコレートの話題をww チョコレート が一般庶民のお菓子となって100余年。 かつて、フランスやベルギーなどが職人の手による高級なチョコレートを作っていた頃、産業革命後のイギリスでは、その技術力を活かし、工場でのチョコレート大量生産が本格化した。 栄養価が非常に高いチョコレート 。 そうやって良質の安価なチョコレートが大量に生産できるようになったことで、戦場や探検の食料としても広く用いられるとともに、労働者の貴重な栄養源として一般庶民に普及していった。 イギリスは、大量生産の老舗国だけあって、未だに有名なチョコレートメーカーの名前の中にはイギリスの物が多い。 「 キャドバリー 」や「ロウントリー」などがそれだ。 「キャドバリー」は俺の子どもの頃…昭和40年代に、日本でもテレビCMが放送されていた記憶がある。 また、「ロウントリー」はピンとこない社名だが、「 キットカット 」といえば誰もが知っているチョコレートだよねw この「ロウントリー」のキットカット。何と1935年に誕生して、未だに健在…というか、人気があるのは凄いよね! イギリスでの発売当初は「キットカット」じゃなくて「「チョコレート・クリスプ」という名前だったそうで。 「Kit Kat」という韻を踏んだ名称は覚えやすく、人気が続く要因の1つとなっているが、気になる命名の由来は不明! 最も「最もらしい」説は、ロンドンにあったパイの店の名前からとったというもの。「ロウントリー」の創業者一族も通っていた店らしい。 だが、名前の由来には様々な都市伝説があって、実際のところ定かではないというのが事実のようだ、残念…。 また、キットカットは赤と白のラッピングが印象的だが、一時期は青のラッピングだったこともあるそうで。 その理由は第二次世界大戦により原材料が不足し、本来の配合でチョコレートを製造できなかったために、平和な時代とは違うキットカットですよという意味で青のラッピングに変えていたということだ。 そして、もう1つ! キットカットは労働者が手軽に摂れる食事がわりとして食べられていたのが発売当初。そう、このキットカット、昔は栄養を摂るための労働者の食事だったのだ! 時代が...

日本女性の黒髪が復権!?

女性の黒髪が復権したという。 ここ何年も、茶髪や金髪の女性に見慣れてきたから、個人的には髪の毛の色は、あまり気にしていなかったが、言われてみれば、色のついていない自然な黒髪の女性は少なかったかも知れない。 男でさえ、茶髪が多かったりするからねww 斯く言う俺自身も、大学生の時は金髪だった(爆) バンドやってたから、ちょっと派手にしてみただけなんだけど、昭和の時代では目立ちに目立ったようだ。 新宿や渋谷など、人が多い場所での待ち合わせは、俺の金髪が目印になったりしたw 時間に正確だったから待ち合わせ場所に10分前には着いてたからね。 山手線に乗っても、たまたま座席が空いていて、俺が座っていると…混んできても俺の両隣には誰も座らなかった゚(゚´Д`゚)゚ ディスコにバイトの面接に行っても、「その髪、何とかなりますか?」と言われて「いいえ!」と答えると門前払いだったしwww バブル直前の日本では金髪だと何かと肩身が狭かったんだよね。 それが今や、茶髪や金髪が普通の仲間入りをしてるっていうから、時代の流れとは不思議なもんだ! 確かに昔から女性の黒髪は、日本女性の象徴のようなもので、髪が綺麗だと美人に見えたりしたものだ。いや、美人の黒髪が魅力的なのかな!? まぁ、どっちでもいいけどw とにかく最近は、自然な黒髪に化粧や服装などでファッションセンスをアピールする傾向にあるらしく、女性誌でも黒髪に似合うファッションが数多く提案されているようだ。 2020年の東京オレインピックに向けて、日本古来の文化が見直され復権する兆しが見える。 ファッション、食文化、伝統芸能などなど…日本が世界文化の憧れになる日も近い…かも!!

笑っていいとも!祝!7777回

フジテレビの「 笑っていいとも! 」が、 遂に今日で7777回達成とのこと。 考えてみれば俺が大学生の頃からやってたもんねww あの頃は、いい時代だったなぁ。 景気が良かったから、大学生でも簡単にクレジットカードとか作れたし。 いやね、タモリ氏が当時、GCカードのCMに出てたから 思い出しただけだけどねwww 俺が池袋のサンシャイン通りを歩いてたら、 勧誘されてGCカードをその場で作ってもらったっていう思い出。 そうそう、あと、 俺はたまに新宿の二丁目に遊びに行ってたんだけど、 (※別に俺は、そっち系じゃないけど、念のため。) ある夜、俺が飲んでた店に山田邦子氏が来て 店の男の子たちとワイワイ騒いでたことがあった。 そしたら後日、「笑っていいとも!」に出演したときに そのことをタモリ氏に語ってたのを思い出した。 この長寿番組、長寿なだけに、 こんな俺にさえも、 いろんな思い出を残してくれてる。 懐かしくていいな~。 感謝、感謝です。タモリさんww

自分が生まれてから何日生きて来たか知ってる?

自分がこの世に生を受けてから今日で何日目か、 知りたいと思ったことはないですか? 自分で計算するのって、かなり面倒くさいよね。 誰か、エクセルで作ってくれないかなぁ…などと思っていたら、 いいのを見っけww 生まれて何日チェック 西暦で生年月日を入力するだけで、 勝手に計算してくれるから便利^^ あと、通算何日目は何月何日かも調べられるし。 友達なんかの誕生日とか、 何か勝手に記念日とかを決めて イベントなんかをやったら喜ばれそう! バースデイカードに日数を書いてもオモシロイかも!? 皆の好きなように使えばいいと思うよ!ただだしね!!

映画[Battle ship(バトルシップ)]を見た!

レンタルDVDで映画「Battle ship(バトルシップ)」を見た。 単なる娯楽映画かと思いきや、 ナカナカ奥が深い! まずは、アナログとデジタルを超える何かとの闘い。 最悪の場合には、デジタルじゃなくアナログが必要になるという 何というか、「教訓」みたいなのを感じる。 次に、戦艦ミズーリの登場。 戦艦ミズーリといえば、 その艦上で日本が無条件降伏に調印した戦艦。 これが復活して戦う意味とは!? そして、戦争で両足と生きる意欲を失った陸軍中佐が 再び軍人魂を取り戻して戦うシーン。 どれもこれも復活をイメージさせるシーンばかり。 日本の護衛艦艦長と米海軍士官との協力も、 何か、太平洋戦争の因縁を新しい未来として 前向きな繋がりとして描いた感じ。 CGも日本の映画と違って壮大で 見応えあったけど、 何より、 さすがアメリカ人の思慮深さと思える話の深さ。 日本では、あまり重要視されていない兵法の話…など、 過去の歴史と現在の世界の実情とのつながりを 表現した感じがする映画だった。 百聞は一見にしかず…まずは鑑賞あるのみ!

ご馳走様とは…

飯を食った後に「ご馳走様」という。 時代劇を見ていると「今日は馳走になった」などといっている。 これは江戸時代から使われている言葉だが、 「馳せ参ずる」の「馳」と「走る」を組み合わせていることから、 【急いで走る】=【おもてなしをする為の準備で、走り回る】という意訳となり、 【おもてなしのための食事】という意味になった。 それが、いつの頃からか、食べ終わった時の挨拶代りに 「ご馳走様でした」というようになったようだ。 ちなみに、 「ご馳走様でした」と言われたら、 もてなした方は「お粗末様でした」という場合もあるが、 ある飲食店の賄のとき、 パートのおばちゃんたちが、調理長の作った賄を食べ終わったあと、 ある人が「ご馳走様」と言ったら 別のおばちゃんが「お粗末様でした」と言ってしまった! 作ったのは調理長なのに、 飯を作ってもいない人間が、流れで言ってしまったようだが… 調理長が気を悪くしたことは言うまでもないww