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3月, 2022の投稿を表示しています

ファイザーワクチンの3回目接種を終えて…副反応、自分の場合

2022年3月下旬、区からの通知で3回目のワクチン 接種 を終えた。 自分の場合は3回ともファイザー製。その理由は、副反応はなるべくきつくない方が良いと思ったから。 1回目の 接種 では、注射をした腕の筋肉痛のみで、2~3日で症状はなくなった。 2回目の 接種 では、1回目よりも激しい筋肉痛で、加えて下痢を伴う腹痛を催した。腹痛はその日一日で収まったが、筋肉痛は4~5日続いた。 3回目の 接種 では、1回目と2回目の間くらいの筋肉痛。それと腹痛まではいかないものの「グルルルルー」といった感じでお腹の調子が良く?なって下痢ではないが、何度もトイレに行くことを繰り返した。   2回目の 接種 が一番きつかったように思う。 自分の場合は発熱が無かった。一般的には発熱やその他の症状が酷い方が抗体が多くできやすいことらしい。が、自分の場合は中途半端な症状だったので、チョッと心配…

生きてさえいれば、誰にでも未来はある。

生きてさえいれば、誰にでも未来はある。 目標をもって前向きに努力を重ねる者には明るい未来が。 宛ても無く、ただ毎日を生きることだけしか考えない者にはそれなりの未来が。   同じ未来でも、心掛け次第で明るくもなり暗くもなるのが未来というもの。 希望や目標も無く、その日暮らしで凌いで生きていくのも人生。ただ生きているだけで満足なのであれば、それでも良いだろう。   人生は一度きり。 どうせ同じ「生きる」のであれば、自己実現の達成を目指して日々生きてゆきたいものだ。生き甲斐を感じるとは、そういった前向きの生き方からしか得ることが出来ないのだから。        

昨夜の福島県沖地震の後、安否を気遣う末娘からのLINEが父を勇気づける。

2022 年 3 月 16 日 23 時 36 分。福島県沖を震源地とする最大震度 6 強の 地震 が発生。   小生は既に就寝中だったが、さすがに目が覚め、直ぐに離れて暮らす末娘からのLINEがあった。   都内在住だから震源地からは遠いが、震度 4 とそれなりに揺れたので、娘としては気になったようだ。   それにしても、心配してくれる人がいると、同じ生きるのにも張り合いがあるというものだ。   所々の事情があって、小生にとって家族と言えるのは末の娘だけなので…この関わりだけは大切にしたい。小生が生きて行くための唯一の糧とも言える。   パパは頑張るよ!君とまた一緒に暮らせる日まで。

11年前の昨日 3月11日は東日本大震災だった…

11年前の昨日、 東日本大震災 。2011年3月11日14時46分頃に発生。三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で、深さ約24kmを震源とする大地震だった。 筆者は仕事の関係で被災地にごく近い盛岡に居た。 沿岸ではなく内陸だったので、津波の被害は無かった。 ただ、水道や電気が途絶え、信号も機能しなくなった。 幸いにして電気は2~3日で復旧したが、スーパーに物はなく、ガソリンスタンドには長蛇の列。便利な日常がもろくも崩れ去った。   だが、被災のみである筆者が一番印象に残っているのは、震災後に電気が復旧したあとで、パチンコやに長蛇の列ができ、パチンコ屋だけが大盛況だったこと。 片や沿岸地域では人命が失われ、寒さに凍えた生存者が多数いたにもかかわらず、同じ県内の盛岡では、パチンコに興じる人間が多数だったことに、ある意味で恐怖を覚えた。 彼ら、彼女らは、いったい何者だったのだろうか…被災地の支援に行きことはしないまでも、自分の家族や友人たちの心配や、これからの食料などの心配は無かったのだろうか…。 未だに、この時抱いた疑問は解消していない。