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現在の世界において、法とは何か、法治国家とは何か。その意義とは。

某テレビ討論会で、橋本氏と櫻井氏が論戦をしていた。 そこで感じたこと… 橋本氏は法に基づいて全ての行為を行うべきだという主張を常々している。 そこで突っ込みたいのは、法を順守して決め事が出来るのは、あくまでも法にのっとった国事を行っている国家同士の場合である。 これが一方は法治国家、もう一方は無法国家の場合どうなるのか… 例えばボクシングや野球などであれば、ルールに基づいて試合をしていたら、反則行為をする相手に勝てるだろうか。 応えは「否」。 それでも法を自分たちだけが守っていたら、永遠に相手の無法行為を止めることは出来ないだろう。 ただ、民主国家としては、それを声高に言うことは憚れる。 だから、形式上の美辞麗句を並べながら無法な行為の正当化を図りつつ物事を進める必要があるのだ。  無法な行為の正当化…やり過ぎては自らの民主主義を否定してしまう行為だが、ある程度までは行使しなければ、無法者には絶対に対抗できない。 テロ組織のハマスに対してだけではなく、ロシアや北朝鮮、それに中国などのような無法国家に対しても同様だ。 言い方を変えれば、無法者は無法者独自の法に準じた価値観を持っていて、それに従って行動している。つまり、彼らの言う方なのだ。 だから、同じ法というのでなければ法を守る事自体が間抜けな行為。 だから現状、世界中ではやったもん勝ちということになっている。 5大国の拒否権がある以上、国連は機能しない…というより、国連そのものには法を強制する力はない。全世界を1つとする秩序は当初から存在していない。とりあえずの形式上の方便であるのが国際法であるに過ぎない。 (もちろん1つにする努力は必要であるが、多様性を考えれば永遠に1つになることは不可能であろう。)   法の下に無い相手に対して、法に則った対応は無意味だ。(そこであたかも法に則って行っているかのように見せかけるよう体裁を整えつつ、非合法な手段に出る以外に、無法者を倒す手段は無い。) よって結論。 私は法を守らない輩に対し、法治国家は超法規的な対応をしなければならないこともあると考える。