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無知な人や頭が悪い人は駅のホームで線路側の際を歩く

駅のホームで線路際を歩く人を見かけることがある。特にホームが混雑しているわけでもないのに…。   そして、駅のホームの点字ブロックは白杖の人に「ホームの際」であることを知らせるためのものであるのだが、なぜだか点字ブロックの上を歩きたい健常者もいるようで…。   そもそもホームの線路際は電車を待ったり歩いたりするためのエリアではなく、電車を乗り降りするための「余白」。且つ電車との安全なクリアランスをとるための予備エリア。 世の中の殆どの人はそのことが分かっているので、少々混んでいても線路際は歩かずに、ホームの内側を歩いている。だから線路際のスペースは当然空いているわけだ。   だがここで、無知な人や頭の悪い人は、空いているから歩きやすいと考えて、電車が来ても歩いてしまう。並んで電車待ちをしている人々の前であっても!更にバカな人は、そのまま割り込んで人が降りる前に乗り込んでしまうこともある。 点字ブロックよりも内側は、歩くエリアでもあるが、人が並んだ時点で、更にその内側が通行エリアとなる。 そういったホームを誰もが安全で円滑に利用するための使い方が理解出来ていない人が、所謂「頭の悪い人」ということになる。極度の利己主義とも言えるのかも知れない。   ただ、人が人である以上、ある一定数のエラーがある人々が存在するのは致し方無いこと。そういったエラーのある人々は、自分勝手のあまり社会の皆がスムーズに生きるためにあるマナーやルールを守れないのが現実だ。完全に防ぐことは出来ない。 そして、犯罪の多くは同じく身勝手な理由からであることが多いことからも分かるように、そのエラーが更にエスカレートすると犯罪に繋がったりすることもある。駅のホームであれば、電車の運行を妨げるという威力業務妨害。   よって、駅員さんに注意されても線路際を歩き続けるような人々は、何らかの重大なエラーがあるので、あまり関わらない方が身のためかも知れない。

Al imprimir tarjetas de Año Nuevo, sería un problema si la impresora se quedara sin tinta... pero en Tokio...

En Japón, existe la costumbre de escribir saludos al comienzo del año llamado ' nengajo '. Todos los años, trato de enviar las tarjetas de Año Nuevo antes del 25 de diciembre al final del año. Como siempre, se produce algún tipo de problema al imprimir las tarjetas de Año Nuevo. Este año, la tinta "negra" de la impresora se acaba... Aún así, vivo en Tokio, por lo que la tinta llegará a mi casa por la tarde del día en el más rápido. No tengo que ir solo a la tienda de artículos electrónicos para el hogar, por lo que es útil. En otras palabras, puede evitar perder el tiempo. Así, para mañana, día 25, que es la "fecha límite" que he decidido, podré completar la impresión y enviarla. En ese sentido, es bueno preparar las tarjetas de Año Nuevo con anticipación. Tienes tiempo para lidiar cuando te quedas sin tinta o tu impresora se descompone. Todo necesita un "margen". tanto mental como físicamente.

When printing New Year's cards, it would be a problem if the printer ran out of ink... but in Tokyo...

In Japan, there is a custom of writing greetings at the beginning of the year called ' nengajo '.   Every year, I try to send out New Year's cards by December 25th at the end of the year. As always, some kind of trouble occurs when printing New Year's cards. This year, the printer's "black" ink runs out... Still, I live in Tokyo, so the ink will arrive at my house by the evening of the day at the fastest.  I don't have to go all the way to the home electronics store by myself, so it's helpful. In other words, you can avoid wasting time. Thus, by tomorrow, the 25th, which is the "deadline" that I have decided, I will be able to complete the printing and post it. In that sense, it is good to prepare New Year's cards early. You have time to deal with when you run out of ink or your printer breaks down. Everything needs a "margin". both mentally and physically.

年賀状を印刷するとき、プリンターのインクが切れたら困るけど…都内なら…

私は…毎年のことだが、年末は12月25日までに年賀状を出すように心がけている。   そして、これも毎度のことだが、年賀状の印刷時に何らかのトラブルが発生する。 今年などはプリンターの「ブラック」のインク切れ… それでも都内に住んで入れば、最速で当日の夜までにはインクが家に届く。  家電量販店までわざわざ行くこともないので助かる。つまり、時間の無駄が防げる。   かくして自分の決めている「締め切り」である明日25日には印刷を完了して投函出来る。   そういった意味で、年賀状は早めの準備が良い。インクが無くなったり、プリンターが故障したりしたときに対処する時間的余裕があるから。 何事でも「余裕」が必要だ。精神的にも、物理的にも。

残念な日本の政治…少子化が進行し、衰退する日本

単純な話、人口が減れば税収が減る。だから今のうちに出生率を増やす政策が必要だと言われて数十年も経つ。   日本は、どうやら 少子化 対策を本気でやろうとする気が無いようだ。   やはり「既得権」を守ることが優先か…一部の団体や省庁の官僚たちは、国益よりも自分たちの利益を優先するという愚行を為すのか…   …ということは、あと半世紀もすれば人口は半減。税収も減り、経済的な余裕も無くなり、日本はアジアの中でも目立たない国になるだろう。   こうなったら、自分の子どもたちだけには、世界で生きて行くための知識と感性を身につけてもらわなければならない。日本に拘っていると、不自由な生活が待っているだけだから…。   語学は当然だが、わざわざ勉強するのではなく、日常の一部として、「〇〇しながら」で気軽に接しつつ自然に身につくようにしたい。 何故なら、勉強しなければならないのは…国際感覚と知識の吸収!これが本命なのだから。   世界の中の一国に過ぎない日本。だから日本の国内だけに拘らず、グローバルに考え、活動出来る人間になって欲しい。   私自身もクリエイター&文筆家として海外の人々と交流出来るようにブログやYou Tubeで発信し続けている。   日常のWebゲームさえも大切な交流のひと時。   インターネットには国境の壁は無いから便利!   娘と二人で外国の街を散策するのも楽しいかも!   大切なのは自分自身が壁を作らず、世界標準とは何かを意識しつつ、様々な国の文化を体感しながら成長することだと思う。

ファイザーワクチンの4回目接種を終えて…副反応、自分の場合

3回目接種から約7カ月、先週末に4回目のワクチン接種うぃ受けてきた。 1回目からずっとファイザー一筋 笑。   皆さんが気になる副反応は…3回目と同じく「下痢」!接種後、1.5時間後くらいに突然来たww しかし、腕の筋肉痛は大したことなかった。   その他は特に症状なし!私は無神経だし(^^ゞ   そんな訳で一安心!?

残念な公務員…国鉄の元職員の老人の自慢話

  もう 10 年以上も前のこと、知り合いに旧国鉄の職員だった老人がいた。当時で 70 歳は過ぎていたと思う。その老人の自慢話。   結論から言うと、話している本人は自慢げだが、一般の人が聞くと旧国鉄の悪い体質が分かってしまうような内容の話。   一体どういうことか…   当時の国鉄で、深夜に線路の保守作業をやっていたこの老人。   当時は 2班 のチーム制で、それぞれの担当箇所に分かれて作業をしていたそう。その作業 を 早く終えてしまった班は、休憩室で何時間もトランプや将棋で遊んでいても良かったんだとか。たとえ片方の班が難儀していても…だ。   その老人の班は、毎回毎回早く作業を終わらせて、毎晩遊ぶことが出来たということを自慢げに話していた。   このことは旧国鉄の人材の配置や作業の割り振り、保守計画そのものが非効率的で、無駄が多かったことを物語っている。人を遊ばせている分、人件費だけでも無駄が多かったということだ。   そんな組織全体から見た場合の生産性の低さを自慢してしまうほど、旧国鉄職員は一般人とは感覚が違うことがよく分かった。この老人、悪い意味で「昔の公務員」の感覚だったようだ。   仕事の質や効率を向上させる必要のない?!公務員…今となっては昔の話…とも言い切れない部分が、各官公庁に残っているのは残念だが…。   脱却せよ!親方日の丸の感覚から!!

JR山手線で駆け込み乗車をする人の気が知れないし、滑稽だし、迷惑でもある。

  全部で 30 ある山手線の駅。中でも乗り換え路線がある池袋や新宿、渋谷などの駅で酷いのが「駆け込み乗車」。   ドアが既に締まりかけているのに突っ込んで来る。当然、体や鞄がドアに挟まって身動きが取れなくなり、晒し者になるし、電車の運行予定が狂うという迷惑行為となる。   そもそもラッシュ時で 3 分間隔、それ以外でも 4 〜 5 分間隔で運行している山手線に、他人に迷惑を掛けてまで駆け込んで乗る必要があるのだろうか?   次の乗り換え路線のダイヤにもよるが、山手線を 1本 見送っても、目的地到着はせいぜい 5 〜 10 分程度しか変わらないと思うのだが…。 そんなに切迫した事情の人など、そうは多くないハズだ。   例えば…寝坊して予約の新幹線や人との約束の時間に間に合わないとか…そんな人が毎回毎回いるとも思えない。   思うに、山手線は、次がすぐ来ることを知らない…とか、発車ベルが鳴るとある種の「強迫観念」で駆け込みたくなってしまうとか…。   確かに地方の電車のように 1本 乗り遅れると、次のが 1 時間とか 2 時間待たなければならないという感覚の人はそうなのかも知れない。でも山手線はラッシュ時の 3分 じゃあなくても 5 分も待てば次が来る。確かに山手線に乗り慣れてないと分からないのかも知れないのだが…。 ただ、知っている者からすれば、そんな「無意味」な余裕のない行動は滑稽でならないのは事実だ。また、駆け込んで引っかかることで発車が遅れ、山手線全体の遅れに繋がり、発着な間隔が 5 分を大幅に超えてしまったりもする。   中でも極めて滑稽なのは、数人のグループで乗車しようとして、先頭の一人だけが乗れて、後の人が駅に取り残されるパターン。誠に不思議ではあるが、そんな光景を何度も見たことがある。みんなで 1本 後の電車に乗れば余裕で全員乗れるのに…何故?   そんな「無意味に急ぐ」人々のいる山手線の駅での人間観察も、ある意味面白いかも 笑。  

昭和の田舎育ちの親のお嬢様像とは…

    「 お嬢様 」と云えば、教養があって、習い事が多く、花嫁修業もしっかりして、何よりも躾が行き届き、所作も品があるようなイメージなのだが…。   昭和生まれで田舎育ちの人の お嬢様 像は、多少…いやいやだいぶ違うようだ。つーか、真逆!   私事で恐縮だが、私がある女性と結婚することになってしまった時のこと…相手の母親が「うちの娘には小さな頃から家事などは一切させたことがない」と自慢げに言っていた。自慢げに…というのが凄いと思う。嫌な予感はしていた。要するに我が子は「 お嬢様 」育ちだと言いたかったようなのだ。     その言葉を聞いて、私は唖然としたのだが、今更確認出来る状況ではなく…実際に結婚してみると…本当だった (/_;)   カネは人一倍遣うが料理は出来ない、掃除はしない、洗濯はシワシワのまま干す…などなど、枚挙にいとまがないほど何もしない女性だった。   それでも私の忍耐が尽きるまでの数年間、主婦として 3食昼寝付 きで過ごし、買ったお惣菜中心の食生活などなど何ら努力も改善もしないままなので、生活に様々な支障をきたし、さすがに私が耐えられなくなり離婚と相成った。   田舎者の言う「 お嬢様 」がどういったものなのかを思い知らされた。   本来のお嬢様は世間知らずかも知れないが、あのような教養もなく、ガサツで、家事もロクに出来ないのとは真逆の人のことを言うのだが…   それ以来、田舎の人の常識が怖くなった。   思わず愚痴ってしまったが、全ては己の不徳の致すところ。分かってはいるのだが…。私の黒歴史として残ってしまった。

残念な「行列ができるハンバーグ店」渋谷編

        渋谷某所に、行列が出来る有名な ハンバーグ店 がある。   そして、その店から少し離れたところに、古びたマンションがあり、その ハンバーグ店 の従業員が日に何度か行き来している。おそらく更衣室か休憩所となっているのだろう。   だが…   このハンバーグ店の従業員の数名は、店とマンションの行き帰りに歩きタバコをしていることが多い。しかも、吸い殻は火も消さず道にポイ捨て。   幻滅した…   せっかく行列が出来るほどの有名店なのに、お客の見えないところでは街を汚すという、社会の迷惑になることをしている従業員が働いている。これでは店の衛生観念さえも疑わざるを得ない。   従業員のそんな裏の行動を何度も見た私は、個人的にその店を利用する気が失せてしまった。一度は行ってみたいと思っていたのだが…残念だ。        

仕事が出来ない人の3パターンと対応方法

  人に仕事を頼むと「すぐやる人」「期限を守れない人」「的外れなことをする人」など様々です。   そして、職場では 仕事をやってくれない人と組むと、結局は自分でしなければならないため、チームで仕事をしている意味がありませんよね。   ですが、現実社会には 10 人いれば 2 〜 3 人はそういった仕事の出来ない人が必ずいます。   そこで今回は、私の経験から仕事の出来ない人の分類と対応方法をご紹介します。   仕事の出来ない人は大きく分けて 3 種類。   A 、具体的なやり方が分からない指示待ち人間 B 、そもそも能力が不足している人間 C 、仕事をする気がない不真面目人間   まずは A の指示待ち人間の対応方法から。   読んで字の如く「指示待ち人間」は自分で考えて行動することが出来ない人。 だから、可能な限り細かく具体的に仕事の進め方を指示することが必要です。マニュアルで説明するように、こちらとしては当たり前の事でも端折らずに具体的な言葉にして指示します。 仕事の期限についても「何日まで」ではなく「何日の何時までに仕上げて、どこに提出」といった具合に詳細を指示する必要があります。 ただの「指示待ち人間」であれば、仕事をする能力はあるものの、その能力をどのような流れで使ってよいのかを自ら考えることが出来ないだけなのですから。   次に B の「能力不足」。 これはそもそも仕事を完結させるだけの能力がないので簡単なところから具体的な指示をしてやらせてみて、どの程度まで出来るのかといった能力の把握から始めます。 把握したら出来るところまでをさせるだけです。それ以上は出来ないのですから。 ただし、この種類の人間は、本人に意欲さえあれば、徐々に能力を高めることが可能な種類の人間でもあります。ゆっくりとハードルを上げて気長に様子を見ましょう。   厄介なのは C です。何十人に一人という割合で稀に存在する厄介者です。 向上心は愚か、やる気そのものがない、いわゆる「給料泥棒」なので、仕事の役に立とうとは考えていません。いかに楽をして給料をもらうかだけを考えているのです。とっととクビにしたいものですが、今の世の中そうそう簡単にクビには出来ないものです。  

NHKのドラマ10で安田顕 主演の「しもべえ」は…

ドラマ 「 しもべえ 」は、父親の娘に対する愛情をコミカルに表現した作品。 >>> 公式サイト ネタばれになるんで、内容については云わず感想のみとするが… 何があっても自分の娘を守りたいという父親の思いがテーマで、大いに共感できる内容。 娘を持つ父親には是非、見ていただきたい ドラマ の1つだ。 再放送してくれないかなぁ…    

鉄道の駅のアナウンスを聞いて感じる違和感

毎日のように利用している鉄道。 駅員さんが運行状況や注意事項をアナウンス。よくよく聞いて見ると…何か違和感が。   たとえば…   「ご注意して下さい」   「注意」には「ご」を付けて丁寧に言っていますが「して下さい」はそのまま。本来は「ご注意なさって下さい」「ご注意願います」では?   「ご乗車して下さい」も然り。「ご乗車なさって下さい」とか「ご乗車願います」とかなのでは?   また「左右を ご覧になり、 降車がお済みになった乗車口から」ではなく「左右をご覧になり、降車が済んだ乗車口から」…「ご覧になる」は問題ないが、直接の対象ではない降りる人々の「降車が済む」ことを丁寧に言っている。あくまでも乗る人に言っていることなのに…。   丁寧に言うべき対象や、丁寧にすべき単語がゴッチャになっていて、聞くたびに気になってしまう。   話し言葉を丁寧に言う場合は、文章全体の意味を考えて丁寧語に変換しないと不思議な日本語になってしまうものだ。  

朝一で庭先でのタバコの一服はやめよう!

朝起きて、体操や散歩の後の“一服“ は美味い…かも知れない。最高かもしれない。 だが! 周囲の嫌煙の人々にとっては“最悪“。 朝の清々しい空気の中で、なぜに他人の出した有害なタバコの煙を吸わなければならないのか!! 一人の喫煙者の満足のために近所に住む、或いは付近を歩く多くの人々が非常に深いな思いをする。たった一人の喫煙者のために。 そんな自己中心的な喫煙者の方々、他人を不快にしてでも自分の満足感を得たいのですか?その理由は何なのですか?あたなは社会の迷惑そのものなのですよ!

山村美智さんが言うように「7秒間のハグ」は万人に大切なのでは?

山村さん曰く、怒っていても何でも必ず毎日ハグをすること…夫婦間だけではなく、子どもたちにも…反抗期の子どもなら尚更のこと。ハグを家族の習慣として毎日続けることが幸せの第一歩。   7秒間という時間で絆が深まるそう。オキシトシンという幸せホルモンが出るというのが種明かし。だから、7秒間のハグをしないのは勿体ないんだとか!(^^)! 確かにその通りかも知れない。ただそれだけで、だいぶ幸せになれそうな気がする。人は言葉だけでは分かり合えないのだから…。

普通の日曜日の過ごし方(私の場合)

私は 個人事業主 。 よって、勤務時間も休日も自由に設定出来る。   そんな私の普通の日曜日の過ごし方は…   朝、アラームはかけずに起きる。(平日はアラーム使用) ゆっくりとちょうしょくをとりながら何故かテレビで「ワンピース」を見る。 食後は自分でドリップしてコーヒーを2~3杯飲みながら寛ぐ。 その後は午前中から夕方まで、その日の気分で買い物に行ったり散歩をしたり、創作のためのイメージを巡らしたり…。 昼食も、気が向けば自分で作ったり、外食したり。 夕方は東京FMで「NISSAN あ、安部礼司」を聴きながら、ビールを飲みながら、夕食を作って食べる。 就寝は早めということで、22時までには床に入ることが多い。 つまるところ、休日は時間や締め切りに囚われずに過ごすことを心掛けている。これが私のストレスレス生活術。

この春、知人の一人娘が専門学校に入学するため、岩手から東京にある学校の寮に引っ越した。

この春から娘さんは東京での寮生活をスタート。母子家庭なので、娘さんが家を出て母親である彼女は一人暮らしとなった訳だが…   3月 下旬、娘さんを東京の寮に送り、学校を見学してから、母親である彼女は岩手の自宅に戻った。   家に着いて、娘さんの部屋を再度片付けようと入ったところ…何と忘れ物が?!   実は置き手紙と母親へのお礼の贈り物だったそう。   彼女は…私にそれを見せてくれた。   その手紙の内容が… 18 年間育ててくれたことへの感謝の言葉だった。そして、長生きして欲しいという言葉で締め括られていた。   娘さん、もう岩手に戻る気がないのだろう…少なくとも私はそのように感じた。短い文章ではあったが、田舎暮らしを愛する母親への様々な思いが感じられる手紙だった。それだけに私も複雑な気持ちになった。   あの母娘は今後、恐らく一緒に暮らすことはないのだろうと…。   追記;   私自身、数年前までは別れた妻と週に半分ずつ、末の娘の世話をしていたが、中学校に通うようになってからは部活が忙しかったようで、父である私の家には滅多に帰らなくなった。学校から遠いせいもあったので。     娘が居ないと、食事を作ることにも張り合いが無くなり、日常の何気ない会話が出来なくなったことで寂しい毎日を送るようになったことを思い出した。   現在、私は東京に帰って一人暮らしをしているのだが、末の娘が大学に進んだのちに、また会えるようになることだけを糧として、日々の仕事に励んでいるところだ。

ファイザーワクチンの3回目接種を終えて…副反応、自分の場合

2022年3月下旬、区からの通知で3回目のワクチン 接種 を終えた。 自分の場合は3回ともファイザー製。その理由は、副反応はなるべくきつくない方が良いと思ったから。 1回目の 接種 では、注射をした腕の筋肉痛のみで、2~3日で症状はなくなった。 2回目の 接種 では、1回目よりも激しい筋肉痛で、加えて下痢を伴う腹痛を催した。腹痛はその日一日で収まったが、筋肉痛は4~5日続いた。 3回目の 接種 では、1回目と2回目の間くらいの筋肉痛。それと腹痛まではいかないものの「グルルルルー」といった感じでお腹の調子が良く?なって下痢ではないが、何度もトイレに行くことを繰り返した。   2回目の 接種 が一番きつかったように思う。 自分の場合は発熱が無かった。一般的には発熱やその他の症状が酷い方が抗体が多くできやすいことらしい。が、自分の場合は中途半端な症状だったので、チョッと心配…

生きてさえいれば、誰にでも未来はある。

生きてさえいれば、誰にでも未来はある。 目標をもって前向きに努力を重ねる者には明るい未来が。 宛ても無く、ただ毎日を生きることだけしか考えない者にはそれなりの未来が。   同じ未来でも、心掛け次第で明るくもなり暗くもなるのが未来というもの。 希望や目標も無く、その日暮らしで凌いで生きていくのも人生。ただ生きているだけで満足なのであれば、それでも良いだろう。   人生は一度きり。 どうせ同じ「生きる」のであれば、自己実現の達成を目指して日々生きてゆきたいものだ。生き甲斐を感じるとは、そういった前向きの生き方からしか得ることが出来ないのだから。        

昨夜の福島県沖地震の後、安否を気遣う末娘からのLINEが父を勇気づける。

2022 年 3 月 16 日 23 時 36 分。福島県沖を震源地とする最大震度 6 強の 地震 が発生。   小生は既に就寝中だったが、さすがに目が覚め、直ぐに離れて暮らす末娘からのLINEがあった。   都内在住だから震源地からは遠いが、震度 4 とそれなりに揺れたので、娘としては気になったようだ。   それにしても、心配してくれる人がいると、同じ生きるのにも張り合いがあるというものだ。   所々の事情があって、小生にとって家族と言えるのは末の娘だけなので…この関わりだけは大切にしたい。小生が生きて行くための唯一の糧とも言える。   パパは頑張るよ!君とまた一緒に暮らせる日まで。

11年前の昨日 3月11日は東日本大震災だった…

11年前の昨日、 東日本大震災 。2011年3月11日14時46分頃に発生。三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で、深さ約24kmを震源とする大地震だった。 筆者は仕事の関係で被災地にごく近い盛岡に居た。 沿岸ではなく内陸だったので、津波の被害は無かった。 ただ、水道や電気が途絶え、信号も機能しなくなった。 幸いにして電気は2~3日で復旧したが、スーパーに物はなく、ガソリンスタンドには長蛇の列。便利な日常がもろくも崩れ去った。   だが、被災のみである筆者が一番印象に残っているのは、震災後に電気が復旧したあとで、パチンコやに長蛇の列ができ、パチンコ屋だけが大盛況だったこと。 片や沿岸地域では人命が失われ、寒さに凍えた生存者が多数いたにもかかわらず、同じ県内の盛岡では、パチンコに興じる人間が多数だったことに、ある意味で恐怖を覚えた。 彼ら、彼女らは、いったい何者だったのだろうか…被災地の支援に行きことはしないまでも、自分の家族や友人たちの心配や、これからの食料などの心配は無かったのだろうか…。 未だに、この時抱いた疑問は解消していない。

ロシアのウクライナ侵攻

2022年2月25日。ロシアは遂にウクライナへの軍事侵攻を始めた。 これによってロシアは、国家のエゴを武力にて押し通す国が、未だに世界には存在することを証明して見せた。 人類は話せばわかるほどの知性を未だ持ち合わせていなこともハッキリした。   それにロシアは約束を守る国ではない。第二次世界大戦で日本がどんな目に遭ったかを思い出せば分かるはず。ソ連はどさくさに紛れて北方領土を奪った。 ちなみに…共産主義は独裁者を生みやすい政治形態。現に、プーチンも習近平も独裁者だ。また、中国とロシアは同類ではあるが仲間ではない。   そういった共産主義国のプーチン、習近平、専制国家の金正恩…現代の独裁者のエゴの犠牲にならないために、世界は今、一つにならなければならない! 人類の野蛮さは、いつまで続くのだろうか…ロシア・中国・北朝鮮…火種は尽きない。 日本国内では、共産党や立憲民主党は国益や国民の実質的な安全ではなく、憲法9条を守ることに熱意を注いでいる。 他国が善意であるという前提で物事を考えてしまう「平和ボケ」の典型的な人種が、彼ら左寄りの日本人なのだ。話せば分かるくらいなら警察や軍隊は必要ない。ロシアによるウクライナ侵攻も無かったハズだ。だが、それは起こった。 日本人が世界の現実を見て、現実的な対応をすべき最後の機会が「今」なのだと思うのだが…。

地方のテレビ事情

母方の実家がある関係で、自分が小学生の頃に岩手県の某町に行った時のこと…。   その頃、自分はテレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」が好きで、毎週欠かさず見ていたので、母の実家に行った時もヤマトを見る気満々でいた。   ところが…   その頃の岩手県には民放が 1 〜 2 局しかなく、しかも山奥の町まで電波がロクに届かない (T_T)   画面は、いわゆる「砂嵐」状態に近く、薄っすらとした映像が辛うじて見えるだけ…それでも意地になって見たものの、非常に不満だったことを覚えている。   その 30 年後くらいに再度、岩手県を訪れた時には、さすがに民放は増えていた。ただし「笑っていいとも」が夕方にやっていたり、 テレ東 系の局だけが無かったりはしたが (笑)   それに、CMは パチンコ屋 のしか見かったような気がする。   昔の岩手は、テレビっ子の自分にとっては、楽しみの殆どが無いようなものだった。特に テレ東 系列が無いのは、個人的には致命的だった (^_^;)   令和の現在はどうなっているのだろうか…。  

心が通じ合うかどうかは相手による。

親子でも夫婦でも友だちでも、心が通じ合うかどうかは相手による。 たとえ我が子でも、思いが通じる子と通じない子がいる。夫婦なら尚更だ。元々は他人なので。   反対に、家族でなくても心が通じ合う相手がいる事も事実。   要は「相手による」ということに尽きる。   通じればラッキーだが、通じなければ残念ながら諦めるだけ。   せめて心が通じ合う相手だけは大切にしたい。   それにしても…人の心は、いと面白し…。  

2022年の初投稿…「フリーター、家を買う」を見て何かチョッと

2022 年1月2日の午後、2009年にフジテレビ系で放送されていたテレビドラマを一挙再放送していたのを、たまたま拝見。 何となく見ただけなのに何か身につまされる思いが… 自分はフリーターではないが、個人事業で日々うだつの上がらない生活をしている。事業拡大のめどが立たず、閉塞感と不安でいっぱいの毎日。 それでも離れて暮らす末娘の成長だけがモチベーション。 何かを変えなければ、成長できないのだが、実のところ何をどう変えたらよいのか見つからない。 しかし、テレビドラマを見ていたら、どんなに細やかな希望や目標でも、諦めずに続けること…続ける意欲は失ってはいけないと教えられた。 別に世間の役に立とうなどと壮大な目標などない、極めて個人的な 目標 ではあるが、突破口を探し続けて必ず見つけ出す!それが今年の目標。  現在行っている事業を細かく分析し、傾向を探り、それを拡大に繋げていくこと。それを続ける。ただひたすら。 娘よ、パパは自分に勝つ!必ず 目標 を達成する!