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夢と妄想の違い

夢 は実現するが、妄想は実現しない。 何故なら、 夢 は具体的な行動目標を設定して実践することが出来る。 それに対し妄想は具体的な行動目標を設定することが出来ず、ただ頭の中で考えていることしか出来ない。 夢 は即ち目標であるのに対し、妄想は単なる幻想でしかない。理想とは程遠いのが妄想なのだ。   夢はそれに向かって段階的に小さな目標を設定し、それを達成するための具体的な行動目標を立てて実践することで達成して行ける。個々の小さな目標の達成が大きな目標に近づくための最短ルートとなる。   「こうなったら良いなぁ…ではなく、自分が行動して前に進むことを考えるのが肝要だ。 実行可能な行動目標を立てた時点で、夢は現実に変わるのは時間の問題だ。何故なら目標設定後は、その実行可能な行動を実践するだけなのだから。

2021年の今年も秋分の日が来てしまった…

  今年も秋分の日が来てしまった…っということは、これからどんどん夜が長くなる。昼型である小生の元気に活動出来る時間も制限されてしまう。   やはり夏は最高だなぁ。一年の中で一番元気になれるから。小生には太陽エネルギーが必要不可欠であることが実感出来る。   冬を元気に過ごせる糧を見つけなければならないのかな。

2021年、テレビ局の春秋の番組改編について思うこと

  コロナ禍が続く 2021 年の春と秋、恒例の 番組改編 が行われた。 毎年の事ではあるものの、今年の 番組改編 は小生にとって極めて残念な結果だった。   春に「火曜サプライズ」が終り、秋には「ボンビーガール」「ぴったんこカンカン」が最終回を迎えた。 どの番組も東京を中心とした関東のロケが多かっただけに、仕事の関係で地方での生活を余儀なくされていた小生にとっては、故郷の情報を知るための大切な手段だったので。 であるから、無事に東京に帰還した今でも愛着を持って、毎週楽しく視聴していたのだが…中学生時代の「銀座ナウ」的な感覚で。   他方、「爆報 !THE フライデー」は、小生が少年時代から活躍している著名人の生活や人生に関する話題を懐かしく思いながら観ていたのだが、これも春に終わってしまった (T_T)   歳を重ねるに連れて、親しんで来た人や物が徐々に失われて行くのは、何とも切ないものだ。   無論、新しい物が新たな歴史を刻んで、いつの日か懐かしい物になって行くのだから、最初は何もかもが新しいに決まっているのだが…諸行無常…だからこそ「今日」を「今」を大切に、精一杯生きることが重要なのだろう。

人と人との関係は化学反応に似ている。

  人と人との関係は化学反応に似ている。   カイロの仕組みのように、鉄と食塩水が反応し酸化鉄になる時に熱が生まれ、活性炭が集めた酸素がそれを促進する…誰かと誰かが協力して仕事をし、別の誰かが加わることで、更に仕事が捗る。その逆も然り。仕事が滞る組み合わせもある。   物質は反応して有益な物質になったり、反対に有毒な物質に変化したり様々…まるで 人間関係 そのもの。   個々の人間の性格も元素記号のような表記がしてあれば、どのような反応が起きるのかが予め分かるので、チーム編成やカップリングで失敗することもないのだろうが…。

地方再生は雇用の創出が必須

地方再生は雇用創出が必須条件。 仕事が無ければ収入が無い。仕事が少ないうえに賃金が低すぎる。収入が無ければ物やサービスが買えない。買えないということは経済が回らない。 現実の経済学 では、地方の暮らしの実態を体感することでしか分析することは出来ない。 地方の暮らしの現実とは…公務員でなければ家を買えない。共働きでなければ生活費が賄えない。 地方の再生は仕事をする場を創出し、最低賃金を上げることでしか叶わない。 現に、地方では貧乏暮らしだった者が、東京に出てきた途端に経済状況が劇的に改善している。その理由は明白。求人が豊富なので仕事を得ることが容易であり、賃金も地方に比べて格段に高い。 地方都市には仕事が無いから外に出ていく人が多いのは当たり前。人口減に歯止めがかからないのは仕事が無いからに他ならない。 仕事さえあれば、地方都市であっても生活は豊かになる。 詰まるところ地方再生は雇用の創出とと最低賃金のアップに掛かっていると言える。

東京2020 開幕

2021年7月23日、東京2020の開会式が新国立競技場で行われた。 新型コロナウイルス過での開催。 招致段階における疑惑、新国立競技場の設計段階におけるドタバタ、大会ロゴの倒錯疑惑、差別発言や過去の経歴での関係者の辞任・解任、IOCの組織そのものの疑惑…コロナに感染した選手は棄権といった理不尽な条件での納得のいかない不平等な大会。 それでも選手たちに罪はない。  代表選手団の中で唯一、相変わらず韓国は、日本を卑下する失礼な行動しかとれず、選手村の極めて無礼な横断幕に対し、オーストラリアの選手団が模範的な大人の横断幕を掲げることで、日本を支援してくれている。ありがたい話だ。 ナチスドイツの時代のオリンピックほどではないにしても、こんなにキナ臭く悲惨なオリンピックは他に無いであろう。 そんな世間的には全く盛り上がっていない開会式を、小生はテレビで見ながらこのブログをしたためている。 それにしても、耳にしたことも無い知らない国々がこんなにもたくさんあるのだな…と、自分の無知にも気づかされた。

人間は生まれながらに不平等

人間は生まれながらに身体能力や環境において不平等。 もしも不利な状況で生まれ育った場合は…努力によってのみ、その境遇を克服できる。   諦めるも前に進むも自分次第。   よって…   忘れてはならないのは、努力によってのみ不利な状況を克服することは可能であるということだ。   それを放棄すれば不幸な未来が待っているのみ。 だが、それに挑戦する気持ちがあるのであれば、未来は青天井だということだ。   生まれ育つ環境の悪さは、努力で克服出来るのだ。 死ぬことや、挑戦を忘れることは命を粗末にすることに等しい。 人は黙っていても寿命が来れば死ぬ。だから自ら命を絶つことはない。 死のうとする勇気があるのなら、まずは苦しい状況から逃げて、再起を考えることをお勧めする。 死んだ気になれば、何も怖くはないはずだ。 死んだつもりで不利な状況から逃げて、そのマイナスから再起を図ることをお勧めする。 逃げることは恥ずべきことではない。もともと不利な状況から生まれてきたのなら、その状況から逃げて再起を図ることは当然の権利だからだ。 不幸な状況にあるのなら、すべてを捨てて逃げてしまえ!そして再起を図れ!自ら命を絶つ必要はない。今ある命を全うせよ! 自分が思うに、人は何も目標を持たずに、ただ生きるか、それとも、何かの目標のために命を掛けるかのどちらかしかない。 だまっていても死ぬのだから、せっかくの命を全うしてみるのも良いのではないかと思う。 いずれ自然に死ぬまでは生きていようではないか。そのために今の不利な状況から逃げるのも有りだと思う、 とにかく生きてこそ人間だから…。

別れた妻のイメージを言葉(擬音語)で言い表すと…

離婚した妻のイメージを言葉( 擬音語 )で言い表すと、次のようになる。 元妻は、 「バン、ドカン、ガチャン」…要するにガサツだった。 前妻は、 「ピリピリ」…いつもピリピリして余裕が無かった。 両名に共通するのは家事が苦手?嫌い? 今思うと「おしとやか」「家庭的」「癒し」とは無縁の女性ばかりを選んでしまったようだ。 ま、2度も失敗するなんて、一番バカでダメなのは自分自身(笑)(-_-;)

水曜日の朝は「Oha!4」の後呂有紗アナに癒やされる〜

  やっぱり朝一番の美女の笑顔にはパワーがある。 自分は早起きで5時前には起床する関係で、朝のニュース番組は日テレ「オハヨン」を見ている。 日替わりで別々の女子アナがMCを担当しているのだが、自分としては水曜日がもっとも元気になる!なぜなら、 後呂有紗 アナが担当だからだ! 自分自身の前の嫁が「微笑まない人」だったこともあって、笑顔には飢えているようだ。 だから子どもや女性の笑顔を見ると癒やされる。それが好みのタイプなら尚更♫ かくして、自分の朝は元気で出掛けられる。特に水曜日(笑) 笑顔に感謝!   ※その後、後呂アナの担当は火曜日にお引越し。 

オートバイは人生を豊かにする。

自分は鉄の翼を失ったが、代わりに鉄の馬を手に入れた。 オートバイ は、好きなところに自由に行ける。   十代の頃から乗っていたオートバイ。 時には気晴らしのため、時には学校に通うため…いつもオートバイと一緒だった自分の人生。 視野を広げるのにオートバイは最適♪ これからも日本を旅したい。