11年前の昨日、東日本大震災。2011年3月11日14時46分頃に発生。三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で、深さ約24kmを震源とする大地震だった。
筆者は仕事の関係で被災地にごく近い盛岡に居た。
沿岸ではなく内陸だったので、津波の被害は無かった。
ただ、水道や電気が途絶え、信号も機能しなくなった。
幸いにして電気は2~3日で復旧したが、スーパーに物はなく、ガソリンスタンドには長蛇の列。便利な日常がもろくも崩れ去った。
だが、被災のみである筆者が一番印象に残っているのは、震災後に電気が復旧したあとで、パチンコやに長蛇の列ができ、パチンコ屋だけが大盛況だったこと。
片や沿岸地域では人命が失われ、寒さに凍えた生存者が多数いたにもかかわらず、同じ県内の盛岡では、パチンコに興じる人間が多数だったことに、ある意味で恐怖を覚えた。
彼ら、彼女らは、いったい何者だったのだろうか…被災地の支援に行きことはしないまでも、自分の家族や友人たちの心配や、これからの食料などの心配は無かったのだろうか…。
未だに、この時抱いた疑問は解消していない。
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