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鉄道の駅のアナウンスを聞いて感じる違和感

毎日のように利用している鉄道。 駅員さんが運行状況や注意事項をアナウンス。よくよく聞いて見ると…何か違和感が。   たとえば…   「ご注意して下さい」   「注意」には「ご」を付けて丁寧に言っていますが「して下さい」はそのまま。本来は「ご注意なさって下さい」「ご注意願います」では?   「ご乗車して下さい」も然り。「ご乗車なさって下さい」とか「ご乗車願います」とかなのでは?   また「左右を ご覧になり、 降車がお済みになった乗車口から」ではなく「左右をご覧になり、降車が済んだ乗車口から」…「ご覧になる」は問題ないが、直接の対象ではない降りる人々の「降車が済む」ことを丁寧に言っている。あくまでも乗る人に言っていることなのに…。   丁寧に言うべき対象や、丁寧にすべき単語がゴッチャになっていて、聞くたびに気になってしまう。   話し言葉を丁寧に言う場合は、文章全体の意味を考えて丁寧語に変換しないと不思議な日本語になってしまうものだ。  

朝一で庭先でのタバコの一服はやめよう!

朝起きて、体操や散歩の後の“一服“ は美味い…かも知れない。最高かもしれない。 だが! 周囲の嫌煙の人々にとっては“最悪“。 朝の清々しい空気の中で、なぜに他人の出した有害なタバコの煙を吸わなければならないのか!! 一人の喫煙者の満足のために近所に住む、或いは付近を歩く多くの人々が非常に深いな思いをする。たった一人の喫煙者のために。 そんな自己中心的な喫煙者の方々、他人を不快にしてでも自分の満足感を得たいのですか?その理由は何なのですか?あたなは社会の迷惑そのものなのですよ!

山村美智さんが言うように「7秒間のハグ」は万人に大切なのでは?

山村さん曰く、怒っていても何でも必ず毎日ハグをすること…夫婦間だけではなく、子どもたちにも…反抗期の子どもなら尚更のこと。ハグを家族の習慣として毎日続けることが幸せの第一歩。   7秒間という時間で絆が深まるそう。オキシトシンという幸せホルモンが出るというのが種明かし。だから、7秒間のハグをしないのは勿体ないんだとか!(^^)! 確かにその通りかも知れない。ただそれだけで、だいぶ幸せになれそうな気がする。人は言葉だけでは分かり合えないのだから…。

普通の日曜日の過ごし方(私の場合)

私は 個人事業主 。 よって、勤務時間も休日も自由に設定出来る。   そんな私の普通の日曜日の過ごし方は…   朝、アラームはかけずに起きる。(平日はアラーム使用) ゆっくりとちょうしょくをとりながら何故かテレビで「ワンピース」を見る。 食後は自分でドリップしてコーヒーを2~3杯飲みながら寛ぐ。 その後は午前中から夕方まで、その日の気分で買い物に行ったり散歩をしたり、創作のためのイメージを巡らしたり…。 昼食も、気が向けば自分で作ったり、外食したり。 夕方は東京FMで「NISSAN あ、安部礼司」を聴きながら、ビールを飲みながら、夕食を作って食べる。 就寝は早めということで、22時までには床に入ることが多い。 つまるところ、休日は時間や締め切りに囚われずに過ごすことを心掛けている。これが私のストレスレス生活術。

この春、知人の一人娘が専門学校に入学するため、岩手から東京にある学校の寮に引っ越した。

この春から娘さんは東京での寮生活をスタート。母子家庭なので、娘さんが家を出て母親である彼女は一人暮らしとなった訳だが…   3月 下旬、娘さんを東京の寮に送り、学校を見学してから、母親である彼女は岩手の自宅に戻った。   家に着いて、娘さんの部屋を再度片付けようと入ったところ…何と忘れ物が?!   実は置き手紙と母親へのお礼の贈り物だったそう。   彼女は…私にそれを見せてくれた。   その手紙の内容が… 18 年間育ててくれたことへの感謝の言葉だった。そして、長生きして欲しいという言葉で締め括られていた。   娘さん、もう岩手に戻る気がないのだろう…少なくとも私はそのように感じた。短い文章ではあったが、田舎暮らしを愛する母親への様々な思いが感じられる手紙だった。それだけに私も複雑な気持ちになった。   あの母娘は今後、恐らく一緒に暮らすことはないのだろうと…。   追記;   私自身、数年前までは別れた妻と週に半分ずつ、末の娘の世話をしていたが、中学校に通うようになってからは部活が忙しかったようで、父である私の家には滅多に帰らなくなった。学校から遠いせいもあったので。     娘が居ないと、食事を作ることにも張り合いが無くなり、日常の何気ない会話が出来なくなったことで寂しい毎日を送るようになったことを思い出した。   現在、私は東京に帰って一人暮らしをしているのだが、末の娘が大学に進んだのちに、また会えるようになることだけを糧として、日々の仕事に励んでいるところだ。

ファイザーワクチンの3回目接種を終えて…副反応、自分の場合

2022年3月下旬、区からの通知で3回目のワクチン 接種 を終えた。 自分の場合は3回ともファイザー製。その理由は、副反応はなるべくきつくない方が良いと思ったから。 1回目の 接種 では、注射をした腕の筋肉痛のみで、2~3日で症状はなくなった。 2回目の 接種 では、1回目よりも激しい筋肉痛で、加えて下痢を伴う腹痛を催した。腹痛はその日一日で収まったが、筋肉痛は4~5日続いた。 3回目の 接種 では、1回目と2回目の間くらいの筋肉痛。それと腹痛まではいかないものの「グルルルルー」といった感じでお腹の調子が良く?なって下痢ではないが、何度もトイレに行くことを繰り返した。   2回目の 接種 が一番きつかったように思う。 自分の場合は発熱が無かった。一般的には発熱やその他の症状が酷い方が抗体が多くできやすいことらしい。が、自分の場合は中途半端な症状だったので、チョッと心配…

生きてさえいれば、誰にでも未来はある。

生きてさえいれば、誰にでも未来はある。 目標をもって前向きに努力を重ねる者には明るい未来が。 宛ても無く、ただ毎日を生きることだけしか考えない者にはそれなりの未来が。   同じ未来でも、心掛け次第で明るくもなり暗くもなるのが未来というもの。 希望や目標も無く、その日暮らしで凌いで生きていくのも人生。ただ生きているだけで満足なのであれば、それでも良いだろう。   人生は一度きり。 どうせ同じ「生きる」のであれば、自己実現の達成を目指して日々生きてゆきたいものだ。生き甲斐を感じるとは、そういった前向きの生き方からしか得ることが出来ないのだから。        

昨夜の福島県沖地震の後、安否を気遣う末娘からのLINEが父を勇気づける。

2022 年 3 月 16 日 23 時 36 分。福島県沖を震源地とする最大震度 6 強の 地震 が発生。   小生は既に就寝中だったが、さすがに目が覚め、直ぐに離れて暮らす末娘からのLINEがあった。   都内在住だから震源地からは遠いが、震度 4 とそれなりに揺れたので、娘としては気になったようだ。   それにしても、心配してくれる人がいると、同じ生きるのにも張り合いがあるというものだ。   所々の事情があって、小生にとって家族と言えるのは末の娘だけなので…この関わりだけは大切にしたい。小生が生きて行くための唯一の糧とも言える。   パパは頑張るよ!君とまた一緒に暮らせる日まで。

11年前の昨日 3月11日は東日本大震災だった…

11年前の昨日、 東日本大震災 。2011年3月11日14時46分頃に発生。三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で、深さ約24kmを震源とする大地震だった。 筆者は仕事の関係で被災地にごく近い盛岡に居た。 沿岸ではなく内陸だったので、津波の被害は無かった。 ただ、水道や電気が途絶え、信号も機能しなくなった。 幸いにして電気は2~3日で復旧したが、スーパーに物はなく、ガソリンスタンドには長蛇の列。便利な日常がもろくも崩れ去った。   だが、被災のみである筆者が一番印象に残っているのは、震災後に電気が復旧したあとで、パチンコやに長蛇の列ができ、パチンコ屋だけが大盛況だったこと。 片や沿岸地域では人命が失われ、寒さに凍えた生存者が多数いたにもかかわらず、同じ県内の盛岡では、パチンコに興じる人間が多数だったことに、ある意味で恐怖を覚えた。 彼ら、彼女らは、いったい何者だったのだろうか…被災地の支援に行きことはしないまでも、自分の家族や友人たちの心配や、これからの食料などの心配は無かったのだろうか…。 未だに、この時抱いた疑問は解消していない。

ロシアのウクライナ侵攻

2022年2月25日。ロシアは遂にウクライナへの軍事侵攻を始めた。 これによってロシアは、国家のエゴを武力にて押し通す国が、未だに世界には存在することを証明して見せた。 人類は話せばわかるほどの知性を未だ持ち合わせていなこともハッキリした。   それにロシアは約束を守る国ではない。第二次世界大戦で日本がどんな目に遭ったかを思い出せば分かるはず。ソ連はどさくさに紛れて北方領土を奪った。 ちなみに…共産主義は独裁者を生みやすい政治形態。現に、プーチンも習近平も独裁者だ。また、中国とロシアは同類ではあるが仲間ではない。   そういった共産主義国のプーチン、習近平、専制国家の金正恩…現代の独裁者のエゴの犠牲にならないために、世界は今、一つにならなければならない! 人類の野蛮さは、いつまで続くのだろうか…ロシア・中国・北朝鮮…火種は尽きない。 日本国内では、共産党や立憲民主党は国益や国民の実質的な安全ではなく、憲法9条を守ることに熱意を注いでいる。 他国が善意であるという前提で物事を考えてしまう「平和ボケ」の典型的な人種が、彼ら左寄りの日本人なのだ。話せば分かるくらいなら警察や軍隊は必要ない。ロシアによるウクライナ侵攻も無かったハズだ。だが、それは起こった。 日本人が世界の現実を見て、現実的な対応をすべき最後の機会が「今」なのだと思うのだが…。