明日の「母の日」を前に、テレビ観てると「お母さんの思い出」とか「母親自慢」とかいったテーマでインタヴューなどが行われています。
何か、わたし的にはあまり考えたくないテーマだったりします。
まぁ、敢えて思い出せば、私が小学生の頃などは、「優しいお母さんが欲しいな…。」とか思っていて「あったかいお母さん」に憧れていたものです。
私が遊びに行く、学校の友だちの家のお母さんは皆、明るくて優しかったから、自分の現状を恨めしく思っていたのを覚えています。
私の母親は2018年の現在、まだ存命中ですが、出来ればもう二度と会いたくないです。
昔からよく言われた言葉は「生まなきゃよかった」とか「がっかりだよ」とか「恥ずかしい」が多かった…っというか、それしか思い浮かばないのがまた悲しい限りです。
気にくわないことがあると、すぐに樫の木の重く固い「棒」をもって、私を追いかけまわしました。
私がご近所で「いたずら」をすると、何故悪いのかを説明するのではなく、ただ「恥ずかしい」といって怒るだけでしたし…。
だから幼少の頃から、どこか親子だと認めたくない気持ちがあり、いつの日か、ある意味で「他人以下」の感情しか持てなくなっていました。
正直、現在でも尚、「母親」として認めたくないです。それでも現実はとても不愉快で、間違いなく「あの人」が私を生んだ母親なのでしょう。
最近ニュースで聞く、我が子を殺す母親よりはマシでしょうが…上を見ても下を見てもキリが無い。
とりあえず殺されなかっただけでも感謝…といったところです。
お陰様で、私自身の理想的な親としてのイメージは、おそらく「まとも」に醸成されました。
それが、自分自身の子育てに大きく反映されていると思います。
子どもはまず、「居てくれる」だけでも幸せです。たとえば学校の成績が良かろうが悪かろうが、
親の言うことを聞いてくれようがくれまいが、生まれてきてくれて良かった!
反抗期だってあるわけですから、そういうときは上手く距離を保ちながら…とにかく、家族なんだから、しっかり寄り添って一緒に生きていることが幸せなんだと実感しています。
私の子どもたち…私の子どもとして生まれて来てくれてありがとう!
…それが、母の日を前に私が思うことです。
何か、わたし的にはあまり考えたくないテーマだったりします。
まぁ、敢えて思い出せば、私が小学生の頃などは、「優しいお母さんが欲しいな…。」とか思っていて「あったかいお母さん」に憧れていたものです。
私が遊びに行く、学校の友だちの家のお母さんは皆、明るくて優しかったから、自分の現状を恨めしく思っていたのを覚えています。
私の母親は2018年の現在、まだ存命中ですが、出来ればもう二度と会いたくないです。
昔からよく言われた言葉は「生まなきゃよかった」とか「がっかりだよ」とか「恥ずかしい」が多かった…っというか、それしか思い浮かばないのがまた悲しい限りです。
気にくわないことがあると、すぐに樫の木の重く固い「棒」をもって、私を追いかけまわしました。
私がご近所で「いたずら」をすると、何故悪いのかを説明するのではなく、ただ「恥ずかしい」といって怒るだけでしたし…。
だから幼少の頃から、どこか親子だと認めたくない気持ちがあり、いつの日か、ある意味で「他人以下」の感情しか持てなくなっていました。
正直、現在でも尚、「母親」として認めたくないです。それでも現実はとても不愉快で、間違いなく「あの人」が私を生んだ母親なのでしょう。
最近ニュースで聞く、我が子を殺す母親よりはマシでしょうが…上を見ても下を見てもキリが無い。
とりあえず殺されなかっただけでも感謝…といったところです。
お陰様で、私自身の理想的な親としてのイメージは、おそらく「まとも」に醸成されました。
それが、自分自身の子育てに大きく反映されていると思います。
子どもはまず、「居てくれる」だけでも幸せです。たとえば学校の成績が良かろうが悪かろうが、
親の言うことを聞いてくれようがくれまいが、生まれてきてくれて良かった!
反抗期だってあるわけですから、そういうときは上手く距離を保ちながら…とにかく、家族なんだから、しっかり寄り添って一緒に生きていることが幸せなんだと実感しています。
私の子どもたち…私の子どもとして生まれて来てくれてありがとう!
…それが、母の日を前に私が思うことです。
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