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スター・ウォーズ、スター・ウルフ、宇宙からのメッセージ・銀河大戦

昨日、「 スター・ウォーズ 」の最新作が公開された。 公開前から様々なプロモーションを展開していて、 今回も制作側の並々ならぬ熱意が伝わってくる。 さて、あくまでも俺の個人的な感覚なのだが… 「スター・ウォーズ」と聞くと「 宇宙からのメッセージ・銀河大戦 」が思い出される。 1970年代は、この手の映画が多く制作された。 そのせいか、「スター・ウォーズ」も「宇宙からのメッセージ・銀河大戦」も 内容が似通っていて、何だかモヤモヤしてしまう。 原作の趣旨は違うにしても、映像化した結果を観ると、 とても良く似ているのだ。 俺自身、別にパクリだとは思わないが、 世相があのようなストーリーや映像を望んでいた結果なのだろうと理解している。 まだ「 スター・ウルフ 」の方がオリジナリティーが高かったように思うww (っていうか、オリジナルの小説だしwww) また、「スター・ウォーズ」は公開後、大人気を博したが、 「宇宙からのメッセージ・銀河大戦」はテレビシリーズだったが全く人気が出なかった。 やはり日本の忍者をスター・ウォーズ的に解釈しただけの作品は受けが悪かったようだ。 オリンピックのロゴじゃないが、インスパイヤーされ過ぎて、 オリジナリティーが希薄になってしまうのは非常に残念なことだ。 殆どの場合、オリジナルは模倣に勝るのだから。

ミスDJ、逝く…

川島なお美と言えば、俺が大学時代にミスDJをきっかけに いわゆる「女子大生ブーム」の中心にいた女性。 何をやっても言っても、そこはかとない「気品」を感じた眩しい存在だった。 晩婚だったが、鎧塚氏との結婚後は、まさに夫婦の鏡として大きな存在となった。 昨今、性格の不一致とか、その他云々で、夫婦は簡単に離婚してしまうが、 「辛い時こそ支え合う」という夫婦の理想を体現した彼女と鎧塚氏の生き様は、 小市民の我々が、是非とも見習わせてもらわなければならないモデルではないだろうか。 「年上の女房は金の草鞋を履いてでも探せ」とはよく言ったものだ。 やはり男は「子ども」。 女性は「母」であり「姉」であり「大人」なのだ…と。 人類が上手く生きていくためのベストなパターンがそれではないのだろうか。 考えてみれば、「おしどり夫婦」と言われているカップルは ほとんど例外なく「姉さん女房」。※たとえ女性が年下でも「年上」っぽい大人 最近は、本当の意味で「大人」の女性の割合が減ってしまっているようだ。 男性も「幼稚」という意味での子どもが増えたww 女性としても、妻としてみても、理想的で尊敬に値する人生を歩んだ、 素晴らしい女優の川島なお美さんのご冥福をお祈りする。

俺が食育に拘るワケ

俺は、自分の子どもたちにはなるべく俺の手作りの料理を食べてもらうようにしている。 たとえ仕事が忙しくても…だ。 何故、俺がそんなに手作りの食事に拘るのか…その理由は!? 俺の母親は料理が苦手…というより、作るのが嫌で、 俺が子どもの頃は、一週間に同じ料理が2度出てくるのは当たり前だったww それに加え、味付けもまちまち…同じ料理でも毎回味が違う。 その理由は、調味料の量的な目安を持たず、作る時々の感覚で味付けするからだ。 笑えるのは、市販のカレールゥを使ってカレーを作ると、 同じメーカーのルゥであるにもかかわらず、水っぽかったり、妙にコッテリしていたり… 味噌汁も、味が薄かったり、塩っぱすぎたり… 俺の母親にとって、食事は「ただ生きるための食べる」ためのものらしく、 とりあえず食わせておけば良い…程度のものだったようだ。 他方、結婚してから。 もうとっくに別れたけど、前妻は料理を作るときの味付けを、ほとんど全て 市販のタレやスープや汁など「できあい」のものを使っていた。 加えて、料理の種類は手巻き寿司や鍋料理など、自分で味付けすることのない 金ばかりかかる料理が多く、片付けが面倒な揚げ物などは一切作ってくれなかった。 そういったことで、俺は貧相な食生活の経験から、家庭の味に飢えていた。 「母親の味」「家庭の味」を知らずに半世紀も生きてきたのだ! それだけに、自分の子どもたちには、家庭の味を知らないなんてことはさせたくない… そんな思いで日々、子どもたちが喜んで食べてくれるような味付けの料理を作りたいと 食事作りに励んでいるワケなのだ。 当たり前の話だが、揚げ物はしっかり素材から衣をつけて作るし、 鍋をやるとしても、市販のスープを使わずに、ワカメなどで出汁をとって作る。 末の娘は、我が家と前妻との間を行き来して生活しているが、前妻のところにいるときは、 おにぎりやパン、外食が多いようで、たまに俺が「ファミレスでもいこうか?」 と 娘に聞くと、「パパの作ったゴハンがイイ!」と言って、外食を嫌う。 だから尚更、手作りに拘りたくなるワケだ。 将来、大人になってから、パパの手作り料理の味が、 俺の愛娘にとって

忌野清志郎氏が亡くなって、早七回忌

もうそんなに経ったのか…といった気がします。 清志郎は俺にとっても身近な存在だったから。 高校の頃だったかな…同学年の友達とバンドを組んで文化祭で披露してた。 その時のカバー曲の多くは RCサクセション のだったっけ… 「 ダーリンミシン 」「 スローバラード 」「 雨上がりの夜空に 」なんかをやってたww そのバンドメンバーの中の一人とは、今でも友達だ。 ちなみに彼とは大学に入ってからも一緒にバンドをやって、ライブハウスに出てた。 その後、社会人になって、俺が脱退したあと、 彼は独自で別のバンドを組み、インディーズでCDデビューも果たしている。 今は、バンドも休止中らしく、社長業に精を出しているようだ。 同じ音楽を聴いて育った俺たちは「親友」。 清志郎の音楽で繋がった縁。 これからも大切にしていく。 清志郎!今でもアンタは俺たちの心の中で生きてるぜ!サンキュー!!

昭和の日、昭和の思い出

昭和の日の今日、友人の一人は昭島市にある「昭和記念公園」に行っているらしい。 写真好きなんで、公園の初夏の様子をカメラに納めているのだろう。 今夜のFBが楽しみだ。 別の友人は、おそらく今夜もライブ漬け…かな!? その前後に、昭和の香り漂う居酒屋で1杯とかw 昭和か…俺の思い出は昭和の思い出しかないけどね。 先日のブログでテレビドラマ「俺たちの旅」について触れたけど、 小学生の頃に、それを観て憧れて、昭和末期の俺の大学時代に それを実践!?してたww 子どもの頃に観たテレビ番組に色々影響されて育ったテレビっ子ってなわけで。 親から何かを教わったということじゃなく、テレビで世間を勉強した感が強い…かな。 天地真理、石野真子、松田聖子なんかの歌謡曲もテレビでよく観て聴いてたっけ。 俺って、やっぱり昭和で出来てるんだなぁ。 そうそう、ここで意味なしの突っ込みwww 「俺たちの旅」のカースケたちの最寄りの駅は「井の頭公園駅」だったけど、 実際の「たちばな荘」の最寄りの駅は「永福町」か「代田橋」あたりで 「井の頭公園駅」からだと直線でも5kmを超えて遠すぎwww --------------------------------------------------------------PR 昭和の歌謡曲 懐メロCD

「俺たちの旅」の「たちばな荘」

俺の親友が高円寺に住んでいる。 その親友の自宅から1km程度のところに 環七と神田川が交わっている場所がある。 その付近にかつて日テレのドラマ「 俺たちの旅 」のロケで使われていた 「 たちばな荘 」がある。いや「あった」。 昨年(2014年)の夏に取り壊しになったそうだ。 新しい建物は何になるんだろう… またアパートかな…マンションかな… 今度、その友達のうちに遊びに行ったときにでも確認してみようと思う。 よくよく考えてみると、このあたりは住むには最高かも!? なぜなら、都心も近ければ周辺に自然もたくさんある。 地下鉄やJRの駅、それに道路のアクセスもよい。 それにしても去年の夏までは「俺たちの旅」ファンが、 たくさん訪れて記念写真を撮ったんだろうなぁ。

長女の就職…父親としての思い

今日、区役所に長女が扶養を外れたことの手続きに行ってきた。 いわゆる健康保険証の返納。 4月から仕事を始めて、会社の社会保険に加入したからだ。 数ヶ月前の成人式ではさほど感じなかったことだが、 こうやって、自分の扶養を外れ、独り立ちを始めると何故か寂しい… 子どもが成長していくのは嬉しいが、その反面、 もう俺の手助けはさほど必要ないんだな…と思うと、とても複雑な気持ちだ。 嬉しいけど寂しい…かな。 出来ればずっと子どものままでいて欲しい気もするがww 別に特別に何かしてやったわけでもなく、逆に、2度も親の離婚を経験させ、 小さい頃はさみしい思いばかりさせてしまってすまなかったという気持ちが強い。 それなのに、曲がらずにまっすぐ育ってくれて感謝している。 ありがとう!俺の娘でいてくれて!(これからだってそうだけど) どうか自分の思うとおりに生きて欲しい。 そして、何かあったときは、いつでも俺のところに帰って来ていいから! 強く・優しく生きろ!! 離れていても、ずっとお前を見守っているから。

俺たちの旅…かw

井の頭公園、大学、ひとり暮らし、アルバイト… 実は今、CSの日テレプラスで「俺たちの旅」をやってる。 中村雅俊主演のテレビドラマだ。 俺が小学5~6年生の頃、日曜日の夜8:00にやってた。 毎週欠かさず観てたっけ。 それにしても、今、よくよく観てみると、主人公のカースケって まるで「俺そのもの」って感じww いろんな意味で俺の学生時代とかぶってる。 何か観ていて恥ずかしい…俺ってこんなにバカなんだ、傍から見ていてwww そんなバカが、今では父親か…信じられんなw

我が家の食育の歴史…俺の子ども時代

我が家の「 食育 」の歴史… まぁ、実のところ俺が子どもの頃の家庭も、 2度の結婚での家庭でも、いわゆる「家庭の味」などと いえるものは存在しなかったけどねww さてと…まずは俺の子ども時代。 うちの母親は料理が苦手。それに嫌いなのかも。 というのも、料理のレパートリーが極端に少ないので 一週間で同じ料理が2回あったりすることが頻繁にあった。 味付けは、毎回違っていて、味が濃かったり薄かったり。 たまに丁度いいこともあったが、 そんなとき「美味い」などといったらさぁ大変w 一週間に3回は同じものを食わされた。しかも! その都度、味の濃さが違ってwww 学校への弁当も、常に同じようなおかずだった。 だから学校給食が恋しくなったものだ。 俺の親父が、やたら外食したがったのは、 そういうことだからだろう。 家ではなるべく食べたくなかったようだ。 そう言えば、親父が定年後の年金生活に入った後は、 よく夫婦で惣菜屋で味の濃い、健康に悪そうなおかずばかり 食べていたようだ。 それもこれも、お袋の料理作り嫌いが影響してのことだろう。 数年前、親父が亡くなってからの俺の母親の食生活。 見ていて不思議に思うのだが、 煮物とカレーを交互に食べているようだ。それも万年。 よくよく飽きないものだと関心してしまうww ただ、母親の考え方を解説すると、彼女的には 「食べるために働き、生きるために食べる」と考えているだけで、 「自己実現のために働き、楽しむために食べる」という 俺の常識とは全く異なる考え方なのだ。 だから食事は、ただ「食べさせれば良い」という発想になり、 味付けやメニューや健康などは関係ないと思っているようだ。 そんな訳で、俺の子ども時代には「家庭の味」とか 「お袋の味」などというものは存在しなかったのだ。 俺が現在、自分の子どもたちに手作りで 食事を作り続ける理由の1つは、 俺の「暗い過去」wwwにあるということが言えるのかも。

自分が子どもの頃のクリスマスプレゼントの思い出

12月最初の日曜日の今日、俺は子ども達への クリスマスプレゼントの下調べ に出掛けて来た。 長女は今度、成人式だし、次女はまだ小学生なので、おもちゃ売り場だけでは不足。 よって、デパートとおもちゃ屋さん、家電量販店をハシゴして、昨日までの 子ども達からの(それとない)情報収集 をもとに、プレゼントを探し求めた。 プレゼントを探していると、ふと自分の子どもの頃を思い出したりした。 そして気づいた。俺自身よくよく考えてみると、思い出に残っている親からのクリスマスプレゼントって…無い!! 一体全体、何をもらったんだろう…って感じだ。 多分、何ももらってないことは無いと思うが、思い出せない。 俺の母親の性格からすると、相手の望んでいることなどお構いなしの言動や行動ばかりだから、クリスマスでも、きっと欲しくないモノとかをもらったんではなかろうか!? それに、今でも孫に対して誕生日やイベントの数週間前にプレゼントをわたしてしまうほど、「ため」とか「我慢」とかしない人だから、欲っしていない物であることとタイミングの悪さが相まって、思い出として心に残らなかったのだろう…と分析する。 要するに、相手が欲しいものじゃなく自分の買いたいものを買ったらすぐにわたしてしまうため、プレゼントの意味が殆ど無いといっていいww …あーっ、なんか自分が小さかった頃の嫌なことを思い出してしまった・゜・(ノД`)・゜・ そんなこんなで気を取り直し、色々と見て回った結果!概ね、娘たちのヒヤリング情報と合うものの候補を2~3見つけることが出来た♪ 来週末までには決定して、買いに行くことにしよう! かくして、 最後はハッピーな気分になれた日曜日だった ヽ(*´∀`)ノ ~おしまい~

日曜日の昼間は「スペース1999」

時は1970年代。 俺は中学生だった。 いわゆる「普通」の中学生だった俺の日曜日の過ごし方の1つが「テレビ鑑賞」。 日曜日の午後に「 スペース1999 」という海外ドラマをやっていた。 その概要は、人類が月に進出し、その月基地での爆発事故が原因で 月が地球の軌道から外れて宇宙の放浪者となることで起きる 様々な事象や事件についての話だった…と思う。 SFファンの俺にとってはもってこいの日曜パターンだった。 今頃、宇宙の果てで コーニク指揮官 はどうしてるかなww さて、時は流れて2014年。 ヒストリーチャンネルで「大阪の陣」を鑑賞しながら、ビールを嗜む俺。 FBによれば、わが友は北海道の別の友人を訪ねているらしい… そんな俺の酒の友は… 箱買いした「おやつカルパス」。 小学生の末娘も大好きな駄菓子。ピザトーストも作れそう♪ コーニク指揮官にも食べさせてやりたい逸品だww

床屋さんのマッサージって、どうしてあんなに気持ちいいんだろう!?

誰でも床屋さんに行くと、散髪や髭剃りの合間や後にしてくれるマッサージで、とっても気持ちよくなって眠くなってしまうものだ。 散髪をするのが目的で床屋さんに行っているはずなのだが、あの「気持ちよさ」が忘れられずに床屋さんに通っているような気もする。 単なる散髪なら、駅前などの千円カットや、オシャレにこだわりたいのなら美容室という手もあるのに、何故だが床屋さんに足が向いてしまう。 それだけ、あの「心地よさ」には魅力があるということなんだろうね。 ひげそり前に、顔に被せてくれる暖かいタオル。 そのとき施してくれる頭のマッサージ。 散髪が終わってからのマッサージ器によるマッサージ。 どれも「至福の時間」を作ってくれるから不思議だ。 月に1度程度の幸せな時間だが、毎週通ってもいい気がするくらい気持ちがいいw もう半世紀も生きている俺だが、中高生の頃から変わらない心地よさを与えてくれるのが、床屋さんだった。 そういった意味で、おれにとっては街の床屋さんの存在は、生活の中で、とても大きいものだ。 しゃれた美容室より、魅力的な街の床屋さん。 これからも、俺は通い続けるだろう。 ちなみに、街の床屋さんで使われている、あのマッサージ器。 モーターに取っ手が付いた感じの機器。 俺の中高生の頃から見慣れたマッサージ器。 街の床屋さんでは、どこの町に言っても見かけるマッサージ器だ。 ロングランで頑張ってるね!

僕等がいた…最近見ないね、あんな女性。

先日、CSで「僕等がいた」という吉高由里子・生田斗真主演の日本映画を見た。 原作は小畑友紀で少女漫画らしいが、何となく見始めたものの、見ていると「懐かしさ」を感じてきて、思わずのめり込んでしまったw 映画の舞台は北海道釧路だが、けっこうな街なんだね、釧路って。 映画だと、何だか賑やかそうな街に見えた。 それにしても、何て懐かしいんだろう… 映画を観て久々に感じた感覚だった。 吉高由里子演じる「七美」という女性。 最近は全く見なくなったタイプの女性だね。 作者が昭和の女性だから、あんな感じの主人公になったのかな… 男の心を守ろうとしてくれる女性。 昔は多かったと思うんだけど、時代は移り変わり、そういったタイプは、かなり少なくなってしまった。 俺が3度目の結婚を考えたくなくなったのが、そういった母性本能の薄い女性に飽き飽きしたからんだけど、本当に自己保存しか考えない女性が多くなったよね。 夫婦や家族という関係が面倒くさいと言い切ってしまう今時の女性は、恐ろしい気がするw そんな中、マー君の奥さんは頑張ってるから素晴らしいよね! まったく途絶えてしまったワケじゃないんだよね、母性の強い女性! ユーミンの「守ってあげたい」という曲も、それが使われていた「狙われた学園」も、女性ならではの優しさと強さが感じられる作品だったしね。 だから、俺も昭和の男を貫くことにするよwww 男が男であった時代、女が女であった時代の復活を夢見てw

松田聖子も今では懐メロ歌手!?

最近は、各テレビ局で「懐メロ」を紹介する番組が定期的に放送されている。 毎週であったり、四半期に一度だったりと、間隔は様々だが、「古き良き時代」の歌謡曲・ポップスなどを、ご本人のコメントなども交えながら紹介している。 いつの間にか 松田聖子 も「懐メロ」の歌手となっているのが、俺自身が自分の歳を自覚せざるを得ない理由の1つとなってしまっているww 松田聖子といえば、80年代を代表するアイドルだが、彼女に関しての俺の一番の想い出は、映画「野菊の墓」で松田聖子が初主演したとき、映画のプロモーションで千葉県の九十九里浜にある伊藤左千夫の生家を訪問したときのことだ。 俺は高校の友達に誘われて、オートバイで遥々!?九十九里浜に行って、夏の暑い中、最前列で松田聖子の「花一色」を歌っている姿を見た。 実は当時、石野真子のファンだったんだけど、松田聖子を生で見たら、松田聖子も好きになった次第でwww 当然「野菊の墓」は劇場で見た! 確かに演技はヘタだったけど、話の内容は感動できたのが不思議でならない… 1980年代 はアイドルの黄金時代ともいえる時代で、今とは比べ物にならないくらい多くのアイドルが誕生し、それぞれに盛り上がっていた時代だ。 そういえば、「おニャン子クラブ」は、AKB48の走りみたいな感じで、当時のアイドル界を「普通の人」でも大丈夫的なノリで、人気を集めていたりもしてたな。 もしかすると、ある意味で、あれがアイドルの価値を変えてしまったのかもね。 その結果が良かったか悪かったかは知らないけれど、とにかく普通の人がアイドルになれる的なイメージが強くなったことは、「おニャン子クラブ」がきっかけだったように思う。 松田聖子とかは、おニャン子のそれとは一線を画す、純粋な「アイドル」だったんだな…と、今考えるとよく分かるよ。 それにしても…あの松田聖子も懐メロか…でも、これからも頑張って欲しいな!

2014年、東京の桜は?

2014年、東京の桜の開花予想は3月26日らしい… Yahoo!ニュースによれば、 2月1日からの毎日の平均気温の累計が400℃前後 に東京の桜が開花することが多い…という統計があるんだって! 最近は、日中の気温が20℃前後で、とっても過ごしやすい日々が続いているので、俺の気分も晴れやかw 今週中に桜を見ることが出来るとなると、視覚的にも完全に「春」だね! 桜といえば花見。 花見といえば、俺たちの仲間内の話、以前(十年くらい前)は王子駅の近くにある「飛鳥山公園に皆で集まって花見をしていた。 だが、最近はそこですることが無くなった。 理由は特にない。 皆で集まって花見をすることが無くなって久しい。 あの時のメンバーのうち、一人は北海道に帰り、別の一人は岩手に帰った。 もともと東京出身のメンバーだけが、今持って東京に居る。 それぞれが忙しく、なかなか全員一緒に…ということが難しくなってきた。 だから、ここ数年は一部のメンバーがこじんまりと、ささやかな宴を催す程度に留まっている。 昨年は、岩手に帰った友達とともに、岩手県北上市にある「展勝地」という桜の名所で雨の中、ささやかな花見をしたのを思い出す。 雨が降って寒かったww しかも、肝心の桜は三分咲き程度… でも、懐かしい顔を見られたんで嬉しかったけどね! さぁて、今年は何処に誰と行こうかな…どんな花見になるんだろう。 とりあえず俺は、家族と近場の公園で散歩がてら、桜を見て歩こうと思う。 家族といっても、離婚してるんで、愛娘と二人だけだけどw 上野動物園に行きつつ、上野公園の桜を見るのも良いかもね! 今年もカラオケがウザイかも知れないけど…ねww

ブラックサンダーの大人買い!

子どものおやつとして「ブラックサンダー」を箱買いした。 小学生の子どもなので、1日1~2個でいいと考え、20個入りを1箱購入。 ところが…昨日、スイーパーで買ったばかりのブラックサンダーが、今日の夜には10個しか残っていない(´;ω;`) 犯人は…俺だwww チョコレート好きなので、ブラックサンダーのようなチョコレート菓子も大好き! だから、知らず知らずのうちに10個も食べてしまった…。 そういえば、子どもの頃、一度にたくさんのチョコレートを食べ過ぎて、 鼻血を出した こともあったっけww さすがに今は歳なので、少し糖分を控えないと…ね! せっかく子どものおやつとして買ったのに、自分で食べてしまうとは…不覚! 駄菓子屋が少なくなった今、ブラックサンダー的な手頃な価格で、丁度良い大きさのお菓子が買いづらくなっている。 西日暮里まで出かけて、昔ながらの駄菓子を大人買いするのも、たまにはいいのではないかと考えている。 そうだ!たまには末娘と一緒に駄菓子屋さんに行くのもいいかもね! きっと懐かしいお菓子がいっぱいあるんだろうな~。 くじ引きなんかもやってみたいなー。 仮面ライダースナックなんか、もう無いけど、俺が子どもの頃は、 ライダースナックを買うのも駄菓子屋だったけなぁ…。 西日暮里に数件だけ残る駄菓子屋ツアーを、娘と二人で楽しんでみるかw

ざわざわ森のがんこちゃん

「 ざわざわ森のがんこちゃん 」の「がんこちゃん役」の声優「 あきやまるな 」さんが亡くなられた。 還暦前の59歳という若さで。 「ざわざわ森のがんこちゃん」は、うちの長女がお世話になったNHKの道徳番組で、娘が小さい頃は1週間に何度か同じものを放送していたものを何度も観ていたようだ。 俺がたまの休暇の時に家に居ると、それを娘が観ていたので、元妻に聞いたら、そうだと言っていた。 ニュースでは「忍者ハットリくん」の「ユメ子ちゃん」役で紹介されているが、俺としてのイメージは「がんこちゃん」。 だって、うちの長女は「がんこちゃん」似だからww (やばっ!殺されるwww) その長女も、もうすぐ二十歳か… 懐かしさと親しみを感じるとともに、寂しさがこみ上げてくる。 「ざわざわ森のがんこちゃん」には、今も活躍中のベテラン声優、もう亡くなられた懐かしい声優が、たくさん出演していたっけなぁ…豪華な声優陣だったと思う。 そうだ!長女にラインで知らせてみようと思う。 おぼえてるかなぁ、「がんこちゃん」。 同じ記憶を共有できたら嬉しいな、長女と。 そういう心の触れ合いに影響を与えている番組であり、声優さんたちだったんだな…「ざわざわ森のがんこちゃん」。 いい番組だったね。 俺も長女と何度か一緒に観たことがあるけど、子どもの頃に観ていたテレビ番組って、けっこう年をとっても忘れないもんだよね。 いい思い出の番組って、後になっても心を豊かにしてくれるみたいだ。 「あきやまるな」さんのご冥福をお祈りするとともに、良い思い出を俺たち親子にくれた彼女と「ざわざわ森のがんこちゃん」に感謝の意を表して、今日の日記を書き終えたいと思う。

超合金とポピニカ

超合金のハローキティ!? そっか、 超合金が誕生して40年 も経つのか… 俺の小学生時代からのバンダイの金属製フィギュアシリーズだもんね♪゜・*:.。. .。.:*・♪ 本来はアニメや特撮モノのカッコイイ感じのヒーローが超合金になってたんだけど、40周年という記念の意味と「シャレ」で、ハローキティにしたんだろうね。 俺が小学生の頃は、「超合金」と「ポピニカ」が流行ってた。 当然、俺も大好きで、お小遣いの大半をコイツラに投入してたのを覚えている。 「超合金」はフィギュア、「ポピニカ」はサイクロン号なんかの「乗り物」。 あれ!?ブランド名はポピーじゃなかったけ!? …と思って調べたら、ポピーがバンダイに統合されたんだってww さて、「超合金」といえば、俺が持っていたのは「マジンガーZ」とか「ゲッターロボ」なんかのロボットアニメシリーズが多かったかな。 そうそう「UFOロボグレンダイザー」なんかも持ってたっけ!UFOにロボットが刺さっているヤツw 「勇者ライディーン」なんかは、ゴッドバードに変形したんだよね! 最後に買ったのは「大鉄人ワンセブン」だったかな…中学生の頃www 「ポピニカ」も、けっこう持ってた! イナズマンの「雷神号」とか、ゴレンジャーの「バリブルン」「バリドリン」。 マシンハヤブサの「ビッッグキャリー」とかもあったっけ! 俺は、キカイダー01の「ダブルマシン」が一番大好きだったな。 何年か前に、「復刻版」なるものが出てたけど、やっぱり当時の物が価値があっていい味出してるよね。 こうやって思い出してみると、けっこう持ってたな、俺も! かなりの小遣いを使ったようだ。 1個2~3千円だったと思うが、数万円分は買ってるな、こりゃwww そんなに投資したのに、アイツ等はいったい何処へ行ってしまったのだろう…家の押し入れや物置に無いことは確認している。 …ということは、お袋が勝手に捨てたかな!? あの人には、「オモチャの価値」なんか分からないだろうから、何千円もした物を簡単に捨てちゃってたからね、昔から… そうそう、片付けないで出しっぱなしにしてると、すぐに捨てられてたww 俺が一人暮らしを始めて、その後、結婚したから、きっとその間に、勝

ビールケースのベッドに、マヨネーズの主食。

日テレの「幸せなボンビーガール」を観ていて思った。 今夜の「ボンビーゲスト」さんは、売れない芸能人の頃、ベッドはビールケースで、食事はマヨネーズをおかずにしていたというが…実は、ガールじゃなく「オヤジ」だったww IKKO氏がゲストだったwww まあ、ゲストの話は置いといて、たとえばビールケースのベッド。 これは、東中野に俺のダチが住んでいた頃…そう、当時は20歳くらいだったかな。近所の酒屋さんからビールケースを十数個盗んで来て「キリンベッド」と称してベッド代わりにしてたよ! キリンビールのケースだから「キリンベッド」w そして、マヨネーズはおかずじゃなく主食だった。 俺と一緒にバンドやってたけど、二人とも金が無くて、食費が無くなると、あいつは冷蔵庫のマヨネーズを舐めて凌いでいでた。 俺たちの20歳くらいの頃は、金は無いけど夢はいっぱいあった! あの頃の貧乏生活も今では懐かしい… ちなみに、俺の親友のアイツは、今や社長。一国一城の主だ! マヨネーズを舐めて飢えをしのいでいたあの頃。まるで夢でも見ていたようだね。今とは比べ物にならないくらいクレイジーな毎日だったよ。クレイジーだけどエキサイティング! 夢さえあれば、何だって怖くないし、何でも出来る! 俺も、あの頃の自分を思い出したよ。 これからも、あの時の精神状態で生きたいね。 凄いエネルギーだったもんなぁ…

思い出の房総半島ツーリング

ツーリングは、千葉にはよく行った。特に高校生の頃。 一人だったり、友だちと一緒だったり…。 御宿とか、勝浦とか、館山なんか…外房が多かったかなぁ。 果てしなく長い九十九里浜。御宿から見える犬吠崎。 ラクダの像がある海岸「月の砂漠」。 今、アルバムを見てみると、名も知らない寺の前で友だち3人と一緒に写った写真。 ドライブインの前で撮った写真。 お互いのオートバイを交換して乗りあっている写真。 房総スカイラインの半券。日付は昭和56年3月16日。 俺がサングラスをかけて、カッコつけて写ってる写真ww 俺の高校ではオートバイに乗ることを禁止していたけど、当時はそれほど厳しい規則ではなかったので、毎日のようにオートバイに乗ってたなぁ。 オートバイが俺の視野を広げてくれたような気がする。そう、行動範囲が広くなって、俺の世界が広がったんだ♪ 俺の高校時代か…房総の青い海、曇って薄エメラルド色の海。 ふざけて橋の欄干にぶら下がって撮った写真。月の砂漠の月の形をした記念碑に登って撮った写真。 何もかもがみんな懐かしい…。 俺がオートバイを手放して4~5年。やっぱり、俺の人生にはオートバイが不可欠だ。 浪人生だった頃、勉強に行き詰まると、外房の海をよく見に行ったものだ。 予備校の友達と、初日の出を見に行ったことも良い思い出だ。 ツーリングは、俺の心を癒してくれる。だから、オートバイは俺の友だちだったんだ。 今、家族を失って、子ども達とは週に1度しか会えないから、旅の話をテレビで観たり本を読んだりするのは、子ども達と過ごすことに次いで、俺を癒してくれる至福の時間だ。 仕事を頑張って、再びオートバイを買って、ツーリングに出かけたいな。 そして、思い出の房総半島に行って、あの頃の俺自身に会いたいなぁ。