「本来は中華民国が中国であった」という視点は、歴史的な正統性や国際社会における認識の変遷に基づいた一つの解釈です。この視点を裏付ける歴史的な事実の流れを、第二次世界大戦前から現在に至るまで箇条書きでまとめます。
ここでのポイントは、1912年から1970年代初頭まで、国際社会の多くが「中華民国」を「中国」を代表する唯一の正統な政府として認識していたという事実です。
第二次世界大戦前(中華民国の成立と統一)
1912年:中華民国の成立 辛亥革命により清王朝が倒れ、アジア初の共和国として中華民国が建国されました。これが近代国家としての「中国」の出発点となります。
1928年:国民政府による全国統一 蒋介石率いる中国国民党が北伐を完了し、南京を首都とする国民政府が中国の正統な統治機構として国際的に確立しました。
共産党の地位 この時期、中国共産党は国内の反乱勢力(共産匪、ソビエト区)として存在しており、国家を代表する政府とは見なされていませんでした。
第二次世界大戦中(連合国としての地位確立)
1937年~1945年:日中戦争における指導的立場 日本との全面戦争において、中華民国政府は国共合作を経つつも、名目上は全中国の抗戦を指導する立場にありました。
連合国「ビッグ・フォー」の一員 中華民国は、アメリカ、イギリス、ソビエト連邦と並ぶ第二次世界大戦の主要連合国(ビッグ・フォー)の一つとして位置づけられました。
1945年:国連創設メンバーと常任理事国 国際連合(UN)の創設に際し、中華民国は原加盟国となり、安全保障理事会の常任理事国の地位を獲得しました。「中国」を代表して国連憲章に署名したのは中華民国の代表団でした。
国共内戦と台湾への撤退(正統性の主張の継続)
1947年:中華民国憲法の施行 南京において、国民党以外の政党や無所属代表も参加した制憲国民大会を経て、現在も台湾で適用されている「中華民国憲法」が施行されました。
1949年:中華人民共和国の成立と中華民国の台湾撤退 国共内戦で共産党が大陸を制圧し、北京で「中華人民共和国」の建国を宣言しました。一方、中華民国政府は台北へ撤退しましたが、自らが依然として中国全土を代表する唯一の正統政府であると主張し続けました。
1950年代~1960年代(国際社会における認識)
国連における代表権の維持 大陸の実効支配を失った後も、1971年までの約20年間、国連における「中国」の代表権は中華民国(台北政府)が保持し続けました。
西側諸国の承認 アメリカや日本を含む多くの西側諸国は、冷戦構造の中で中華民国と外交関係を維持し、「自由中国」として支持し続けました。
1970年代以降の変動(「一つの中国」政策の転換)
1971年:国連決議2758号(アルバニア決議) 国連総会は、中華人民共和国の代表を「国連における中国の唯一の正統な代表」と認め、中華民国の代表を追放する決議を採択しました。これが国際的な承認が逆転する決定的な転換点となりました。
各国の外交関係の切り替え これ以降、日本(1972年)やアメリカ(1979年)をはじめとする多くの国が、中華人民共和国を「中国」として承認し、中華民国との公式な外交関係を断絶しました。
まとめ
以上の歴史的経緯から、「1912年の建国から少なくとも1971年の国連脱退まで、国際法上および国際社会の認識において『中国』を代表していたのは中華民国であった」という事実は、歴史的な証拠として提示することができます。現在の中華人民共和国による統治は、国共内戦の結果、大陸の実効支配が移った後に確立されたものです。

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