日本共産党 の歴史は、設立当初の「外国(ソ連)の強い影響下と資金援助による非合法活動」から、現代の「外国の干渉を徹底的に排除し、党費と機関紙収入のみで運営する合法議会政党」へと劇的な変化を遂げています。 党の「利害関係国」と「資金の出どころ」という2つの軸を中心にして、その歩みを時代順に整理します。 結党・非合法の地下活動期 1922〜1945年 【利害関係国】 ソビエト連邦(コミンテルン) 【資金の出どころ】 コミンテルンからの秘密資金 1922年、日本共産党は「コミンテルン(国際共産主義運動の指導組織)の日本支部」として非合法に結成されました。当時の絶対的な指導国はソ連であり、 日本の共産党は独自の裁量を持たず、モスクワからの指令に忠実に従う組織でした。 活動資金のほぼすべては、コミンテルンから密かに持ち込まれた活動資金(コミンテルン資金)に依存していました。その後、治安維持法による徹底的な弾圧を受け、党組織は一度壊滅状態に陥ります。 戦後の合法化と「武装闘争」の時代 1945〜1955年 【利害関係国】 ソビエト連邦、中華人民共和国 【資金の出どころ】 ソ連・中国共産党からの秘密援助資金 敗戦によって合法政党として再建されますが、1950年にソ連(スターリン)を中心とするコミンフォルムから「平和革命路線」を批判されます。これに従った一部の指導部(徳田球一、野坂参三ら)は中国の北京に亡命し、「北京機関」を設置。ソ連や中国の強い指導のもと、日本国内で火炎瓶闘争などの「武装闘争」を展開しました。 この時期の非合法活動の資金は、 ソ連および中国共産党から提供された莫大な秘密工作資金 (いわゆる「人民艦隊」による密輸や地下送金)で賄われていた ことが、冷戦後の旧ソ連の機密文書公開などで明らかになっています。 武装闘争の放棄と「自主独立」路線の確立 1955〜1960年代 【利害関係国】 ソ連・中国との関係断絶(自主独立へ) 【資金の出どころ】 外国資金からの脱却、機関紙「しんぶん赤旗」の販売収入へシフト 武装闘争によって国民の支持を完全に失った 党は、1955年の「第6回全国協議会(六全協)」で武装闘争路線を放棄します。その後、宮本顕治らが主導権を握り、外国の干渉を排除する「自主独立」路線を打ち立てました。 1964年にソ連共産党と、196...
一介の政治経済研究家が、その時々の時事問題について、AIを駆使して調査し、その結果を基に個人的見解を述べているブログです。 日本のメディアがあまり報じない事を世界中のニュースサイトを分析しつつ、積極的にレポートしています。