戦国七雄で最後に残り、秦に征服された「斉」の滅亡(紀元前221年)は、「将軍が善戦する」ことすらなく、ほぼ無抵抗であっけなく降伏しています。
なぜ無抵抗だったかというと、趙の時と同様にここにも后勝(こうしょう)という斉の宰相(政治のトップ)による強烈な裏切りがあったからです。
后勝は長年にわたり秦の密偵から莫大な賄賂を受け取っており、主君である斉王・建(けん)に対して「秦には逆らわず、他の国が滅ぼされても助けに行かず、軍備も整えないようにしましょう」と吹き込み続けていました。 いざ他国がすべて滅び、秦の軍勢(王賁が率いる軍)が斉に攻め込んできたとき、斉は軍隊の訓練も準備も全くしておらず、戦う意志すら失われていました。そのため、将軍たちが抵抗する間もなく、斉王は戦わずに降伏してしまったのです。
斉の裏切り者「后勝(こうしょう)」の末路
国を売って秦に味方し続けた裏切り者・后勝でしたが、彼もまた非常に惨めな末路を辿りました。
后勝の末路 斉が降伏し滅亡した後、后勝は「これだけ秦のために働いたのだから、さぞ厚遇されるだろう」と考えていました。しかし、秦の始皇帝(政)は「自らの祖国や主君を平気で金で裏切るような卑劣な者は、秦にとっても信用できず生かしておく価値がない」として、用済みとなった后勝をあっさりと処刑してしまいました。
騙された斉王・建の末路 后勝の言葉を信じ切って国を明け渡した斉王は、命だけは助けられるという約束で降伏しました。しかし、秦によって「共(きょう)」という辺境の地の松や柏の林の中に幽閉され、食料も与えられず、最後は誰にも助けられることなく餓死するという悲惨な最期を迎えました。
まとめ
「斉」は、宰相の后勝の裏切りによって戦うことすらできずに滅亡しました。
斉を売った后勝の末路は、秦に見限られて処刑されるという自業自得なものでした。

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